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執筆者の写真岩波新書編集部

連載 私のコロナ史 第5回 ロックダウンと「自粛」のはざまで

飯島渉



私たちは「起承転結」のどこにいるのか?


今回は、2020年5月中旬から段階的に進められた日本の緊急事態宣言(第1回)の解除前後の状況を書くことにします。


連載の回を重ねる中で、現在進行形の出来事を文章にすることの難しさをあらためて感じています。それは、私たちが「起承転結」のどこにいるのかがわからない、「結」はいつになったらやってくるのか、それはどんな状況なのかがわからないからです。そんな中とはいえ、2020年前半、初発地域の中国での流行や日本を含む世界への拡散の段階を「起」とすると、各国が新型コロナウイルスとの接触を回避する対策を進めたのが「承」の段階と見ることができるでしょう。


各国のCOVID-19対策は、中国が選択した強硬なロックダウンから、スウェーデンが選択した、ある程度の感染を受忍し、医療体制を整備しながら集団免疫の獲得を目指す対策まで様々でした。米国は州ごとに対策が異なり、それが大統領選挙の争点となりました。日本は国民に「自粛」という行動変容を求めました。そんな中で、高い医療水準を持つと考えられてきたイタリアや英国、そして米国でも深刻な感染が広がりました。その背景として、イタリアと中国の経済関係の深さや初期の水際対策の成否、制度改革のもとでの医療体制の脆弱化、英国は国営のNHS(National Health Service)のもとで感染症に対する医療体制が脆弱だったこと、米国は国民皆保険制度ではなく、医療へのアクセスが容易でない人々がたくさんいたことなどが指摘されています。


人口規模の小さな島嶼国家は、早い時期から航空機などの運航を停止し、出入国管理を強化しました。マーシャル諸島共和国は、第一次世界大戦後の南洋群島委任統治時代から、日本との関係が深い南太平洋の島嶼国家の一つで、総人口は6万人ほどです。COVID-19の感染が広がる中、2020年3月5日、マーシャル保健省は、「渡航制限措置」第7報を発表し、中国、香港、マカオ、韓国、イタリア、日本およびイランからの渡航停止に加え、米国からの渡航についても中止を推奨するとしました。公務員の海外出張はすでに停止され、外国からの派遣団の受け入れも停止されていました。この中にはさまざまな援助を行うNGOなども含まれており、厳しい渡航制限でした(在マーシャル日本国大使館、2020年3月6日16:25、【第7報】「新型コロナウイルスの感染拡大に伴う渡航制限措置について」、この記述は外務省海外安全情報にもとづくが、時間が経過しているため、HPでの公開は終了している)。ちなみに、2021年7月現在、「国家非常事態宣言」(2020年2月発令)が延長され、厳しい渡航制限が継続されています(外務省海外安全HP 、https://www.anzen.mofa.go.jp/od/ryojiMailDetail.html?keyCd=106627)。


感染症の歴史をひもとけば、大航海時代にスペインやポルトガルなどが持ち込んだ天然痘や麻疹のために南北アメリカの人口が激減したことがよく知られています。歴史学の世界では、これをColumbian Exchange(コロンブスの交換)と呼んでいます。その意味では、人口規模の小さな島嶼国家が厳格な出入国管理を行ったことは十分に理解できます。COVID-19対策の比較研究が教えていることは、21世紀初期に世界を席巻した新興感染症への対策に、各国の歴史が刻印されているということです。



COVID-19の看護の記録


「起」と「承」の段階では、COVID-19への対策は、ウイルスとの接触を防ぐ公衆衛生的な対策を行いつつ、患者への治療を進めることでした。高齢者や糖尿病などの基礎疾患を持つ患者の重症化への対応が大きな課題となりました。


2020年3月、東京都江東区の永寿総合病院(上野駅からすぐ近くのところにあります)で、43人の入院患者が亡くなり、200人以上の職員が感染しました。当時、メディアがさかんに報道を行ったので、記憶に残っている方も多いでしょう。この時の様子を看護師がまとめていて、状況を詳しく知ることができるようになりました。看護師が「いつもと違う」、「何かおかしい」(髙野ひろみ・武田聡子・松尾晴美『永寿総合病院看護部が書いた 新型コロナウイルス感染症アウトブレイクの記録』医学書院、2021年4月、4頁)と感じたときには、感染はすでにはじまっていました。 



入院中の患者さんたちにとってもたいへんな事態でした。「……アウトブレイクの発生により病棟の看護体制は大きく変化し、看護スタッフが次々に代わりました。ベッドサイドに交代で来る看護師は全身PPEを装着し顔もよくわかりません。緊張した空気も伝わっていたかもしれません。看護の大切な部分が失われていたと感じます。」(同上、25頁)という真摯な反省があります。病衣やタオルのレンタル、洗濯サービスはすべて中止になりました。陽性患者が使用したタオルやシーツは廃棄され、退院時には布団や枕、タオルケットもすべて廃棄されました。その業務は膨大な量となり、看護本体に響いたと想像できます。病院の中で患者を支えるのは医師や看護師だけではありません。ごくあたりまえに行われてきたことができなくなったことの影響は大きなものでした(同上、34頁)。

COVID-19の患者への診療や看護の様子を伝える映像に映し出されることも多く、パンデミックを象徴するものの一つとなったPPE(Personal Protective Equipment、個人用防護具)についても詳しく知ることができます。頭を蔽うキャップ、目を蔽うアイシールド、N95マスク+サージカルマスクの二重のマスク、長袖ガウン、手袋、防水ズボンにシューズカバーが標準装備で、さぞかし苦しい作業と想像できます。陽性患者の病室に入る際には、それに加えてビニールの長袖エプロンと手袋をして二重とし、患者ごとに交換する決まりです。手袋を交換する時に外側の1枚を外し、1枚手袋をした状態で手指消毒を行います。トイレに行く場合は、スタッフ用のトイレでPPEの外側に触れないよう注意しながらズボンを下ろし、便座は使用前後に消毒します。あまりにたいへんなので、勤務途中でトイレに行くことを避けるため、水分を控える方が多かったとのこと。PPEを外す時がどうしても気が緩み、感染リスクが非常に高いことも教えられました(同上、40~43頁)。病棟の看護科長は、スタッフ一人一人の行動をチェックし、巡回を行ったので、「感染ポリス」と呼ばれるようになり、対応が厳しすぎるという批判も寄せられました(同上、55頁)。ここで紹介したのは、2020年春のCOVID-19の感染拡大の中での一病院の事例です。しかし、現在でも患者に対してこうした看護が行われていることをぜひ覚えておきたいと思います。この時期、対応にあたった看護師への手当てが、ある都立病院では「防疫等業務手当」として日額340円でしかなかったことも紹介しておきましょう(「続く防護服不足・危険手当数百円」『東京新聞』2020年5月11日、朝刊、1面)。



「見送り」ができない


一部の火葬場や葬儀会社がご遺体の受け入れを拒否することも起きました。リスクヘッジのため、ご遺体のエンゼルケア(生前の面影を取り戻すため、また体の清潔を保つために行われる、つまり死化粧)は、永寿総合病院ではすべて看護科長が対応しました。陽性患者へのエンゼルケアは、通常とは全く異なり、ビニール袋に熱いお湯と洗い流し不要の洗浄剤を入れ、不織布のガーゼで清拭と陰部洗浄を行ったとのこと。その後、ご遺体は白い納体袋に入れ霊安室に運びます。死後の感染リスクは低いと言われていましたが、以上の作業もすべてPPEフル装備で行われました(前掲『新型コロナウイルス感染症アウトブレイクの記録』76~77頁)。


看護師はむしろエンゼルケアやお見送り(出棺)をしたいと感じていたとのことです。「当時様々な検討をして決めたことですが、ご遺体の管理とエンゼルケアすべてを科長が行うという判断が適切であったのかはわからないままです」(同上、78頁)という率直な意見も書かれています。私事になりますが、母はある病院の緩和ケア病棟で最期を迎え、担当の看護師がエンゼルケアをして下さいました。遺体を母が長く暮らした実家に移すため、専用の自動車で病院の正門を通過した時、夜中の12時頃だったにもかかわらず、その看護師さんが見送って下さったことを思い出します。それが、私の気持ちをどれほど落ち着かせることになったか、今から考えても頭が下がる思いです。


葬儀会社の見方も紹介しておく必要があります。ある葬儀社の社長は、多くの遺族が遺体に触れることで死を受け入れてきた中で、COVID-19はこれまでの常識が通用しない現場だったとしながら、「本来ならばしっかりとコロナ対策の装備を整えたい。だが過度に防護すれば、ご遺族に「うちの遺体はそんなに汚いのか」と不快な思いをさせてしまう。従業員を守りながら、一方で遺族の心情にも配慮する日々だった、と述べています(「コロナ禍、葬儀に影(上)」『神奈川新聞』2020年5月8日、13面)。この記事は、イスラーム教徒にとって土葬が宗教的に絶対とされる中での困惑も伝えています(「ムスリム「土葬信仰認めて」」同上、1面)。COVID-19以前にはごく普通に行われていたことの一つ一つができなくなったこと、想いを交わす機会が失われることが多かったことをぜひ書き記しておきたいのです。


永寿総合病院のCOVID-19をめぐる看護の状況については、専門的な内容も多く、私には十分に理解できないものもあります。現場を支えるチームの長である看護科長もベテラン・中堅・若手とさまざまで、「科長たちがピリピリ、イライラしてしまうこともありました」という告白も紹介されています(前掲『新型コロナウイルス感染症アウトブレイクの記録』83頁)。医師が子どもの卒園式への参加を断られたり、小さなお子さんを持つ看護師が退職せざるを得ないことも多かったようです。医療従事者の生活を守る仕組みを社会全体で考えてほしいという切実な願いと(同上、112頁)、地元の方々が掲げてくれた「頑張れ、永寿病院」という横断幕がどれほどスタッフの支えになったかを最後に紹介しておきます(同上、111頁)。日本看護協会出版会編集部『新型コロナウイルス ナースたちの現場レポート』(日本看護協会出版会、2021年2月)も、160人以上の現場の声を記録しています。また、日本看護協会のHPからもさまざまな知見を得ることができます。



緊急事態宣言(第1回)の解除


2020年5月中旬になると、各自治体を対象として発令されていた緊急事態宣言が段階的に解除されました。5月14日、39県の宣言が解除され、同21日、大阪、兵庫、京都も解除、そして同25日、東京、神奈川、千葉、埼玉と北海道も解除され、ここに、緊急事態宣言は全面解除となりました。この時期のCOVID-19の感染状況を簡単に見ておくと、2020年3月29日〜4月4日の1週間における人口10万人あたりの新規感染者数は、全国1.25、東京都3.83でした。その翌週(4月5日〜11日、東京など7都府県を対象とした緊急事態宣言の発令は4月7日)は、全国2.75、東京都7.36でした。その後、週ごとの新規感染者は、全国2.86→2.23→1.31→0.72→0.43と減少し、5月17日〜23日は0.21となり、東京都7.77→6.24→4.64→2.57→1.48で、同じく5月17日〜23日は0.64と減少しました。感染拡大の抑制に成功したとみることができます。ちなみに、2021年7月11日〜17日は、全国15.54、東京都51.25という数字です。2021年になってからの感染の拡大は顕著で、その波も2020年春に比べてたいへん大きなものです。


緊急事態宣言が解除された前後の状況について、私が考えておくべきだと感じているのは次のようなことがらです。第1に、後に確認された感染状況からすると、2020年春のCOVID-19の感染のピークは4月初めだったとみられることです。それは、前述の10万人あたりの新規感染者数の推移からも見て取ることができます。このため、はたして緊急事態宣言は必要だったのか、という問題が提起されました。第2に、日本が選択した「自粛」を通じて国民に行動変容を求める手法は「日本モデル」として喧伝されました。緊急事態宣言の全面的解除に際し、5月25日、安倍晋三首相(当時)は「日本モデル」の効果を強調しました。6月4日には、成功の要因を「民度の高さ」に求める考え方が麻生太郎財務大臣(副首相)から示されました。困惑を中心にさまざまな反応が寄せられることになりました。「民度の高さ」は、higher cultural levelと英訳されています(Rochelle Kopp, Is Japan’s low COVID-19 death rate due to a 'higher cultural level'? , The Japan Times, June 12, 2020.)。第3に、6月末、それまで日本のCOVID-19対策に大きな影響を及ぼしてきた専門家会議が解散し、新たに「新型コロナウイルス感染症対策分科会」が設置されました。そもそも専門家会議は設立根拠があいまいで、新型インフルエンザ等対策閣僚会議の諮問機関である新型インフルエンザ等対策有識者会議の下に新たな分科会を組織したことは、行政系統を整理する意味があったものの、格が下がった印象を免れません。組織の再編の意味は、むしろそこにあったと見るべきでしょう。その経緯については不明な点も多いのですが、材料を突き合わせてみると、たいへん大きな事件だったことがわかります。


6月24日、専門家会議の脇田隆字座長、尾身茂副座長、岡部信彦の3人が登壇し、日本記者クラブで会見を行いました(動画と提言は、コロナ専門家有志の会HP、「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」)。その主張は多岐にわたりましたが、ポイントは政府と専門家の関係を整理することでした。「専門家会議としては、当初は、詳細かつ具体的な事項の提案をすることまでは想定していなかった。しかし、抽象的な呼びかけではわかりにくいという指摘や、具体的なメッセージを出してほしいとの要望もあり、多くの人々に行動変容を促すため、詳細かつ具体的な事項の提案をするに至った(「人との接触を8割減らすための10のポイント」、「新しい生活様式の実践例」等)」と述べ、「……本来の役割以上の期待と疑義の両方が生じたものと思われる。すなわち、一部の市民や地方公共団体などからは、さらに詳細かつ具体的な判断や提案を専門家会議が示すものという期待を高めてしまったのではないかと考えている。その反面、専門家会議が人々の生活にまで踏み込んだと受け止め、専門家会議への警戒感を高めた人もいた。また、要請に応じて頻回に記者会見を開催した結果、国の政策や感染症対策は専門家会議が決めているというイメージが作られ、あるいは作ってしまった側面もあった」と述べています(同上、3(1)②市民への情報発信について)。


引用が長くなりましたが、専門家会議は、専門家としての役割をきちんと果たす覚悟があるので、対策の選択は政府の責任においてこれを行い、仮に、専門家会議の意見と異なった対策を選択するのであれば、専門家会議を隠れ蓑にするのではなくその理由を説明してほしいと指摘したと読めます。また、専門家が「踏み込んだ」のは、それをせざるをえなかったからで、会見での質問でも指摘されたように、国民の多くは、政府よりも専門家会議に信を置いていたと思われます。


その内容は政府が進めてきた対策への疑義を含むものであったため、厚生労働省が発表に難色を示し、同省内で会見を行うことができず、日本記者クラブでの会見を利用して、意見の表明が行われました(河合香織『分水嶺──ドキュメント コロナ対策専門家会議』岩波書店、2021年4月、193頁)。政府と専門家の関係を象徴していたのが、記者会見の際に朝日新聞の記者が質問に立ち、西村康稔経済再生担当大臣がほぼ同時刻に記者会見を行い、専門家会議を廃止し、新たな組織を立ち上げる意向を示したが、それを承知しているかと尋ねた場面でした。私もライブで会見を見ていたので、尾身が「私はそれを知りませんでした」と答えた時にはたいへん驚きました。


結果として、専門家会議は廃止され(ただし、有志の会のHPからの情報提供は現在でも継続しています)、分科会へ組織が変更され、会長には引き続き尾身が就任しました。組織再編の経緯に関して、アジア・パシフィック・イニシアティブ『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』(ディスカバー・トゥエンティワン、2020年10月)は、インタビューに答えた西村担当大臣の「……ちょっと私の言い方が悪かったところもあって、誤解を招いてしまった」(335頁、この内容は440頁にもある、インタビューは2020年9月15日)という発言を載せています。民間臨調報告書は、分科会廃止をめぐるこの事件に関して、西村大臣の発言を追認するのみで、事実確認として問題があることを指摘しておきます。


この時期、専門家会議における討議の内容に関して、議事概要が公開されるだけで、詳細な議事録が作成されていないことが問題になりました(「詳細議事録作成せず」『東京新聞』2020年5月14日、朝刊、22面)。現在、官邸HPでは議事概要および配布資料が公開されていますが(「新型コロナウイルス感染症対策本部」)、この問題については、「対策本部」、「連絡会議」、「基本的対処方針等諮問委員会」等も含め(「連絡会議、発言詳細残さず」『東京新聞』2020年6月6日、朝刊、3面)、別の機会に詳しく論じるつもりです。


1年半以上にわたってCOVID-19対策の中心にいる尾身は、国際保健の世界で多くの仕事をしてきました。すこし前に刊行された『WHOをゆく 感染症との闘いを超えて』(医学書院、2011年10月)という本を再読してみるといろいろと気づくことがあります。高校時代にAFS(American Field Service)という米国留学の制度(私の友人も合格し米国に留学しました、試験はとても難しいと聞きました)に合格したところから始まり、東京大学の入試が中止された1969年に慶応義塾大学法学部に進学したものの、曲折の中で、新設された自治医科大学の第一期生となって地域医療を志し、「お礼奉公」である伊豆諸島での暮らしをへて、WHOで働くことを選んだことが書かれています。国際保健やWHOは医学生の進路としては少数派です。フィリピンのマニラにあるWHOのWPRO(Western Pacific Regional Office)に着任しポリオ対策などに尽力しました。日本のODAを獲得するための戦術など、興味ある内容も書いてあります。そして、WPROの事務局長となり、西太平洋の途上国を対象として結核やSARS対策に従事しました。


WHOの事務局長に就任することが期待されたのですが、香港のSARS対策にあたったマーガレット・チャンに敗れ、自治医科大学の教授として日本にもどります。その直後に、2009年の新型インフルエンザ対策に従事することになりました。基本的戦略は、①発生初期の迅速な封じ込め、②感染被害の“波”の平坦化、③社会機能を維持し、被害(特に死亡率)を最小限に食い止める(同上、81頁)、というものでした。COVID-19対策と通底するものであることは言うまでもありません。同書には随所で尾身の心情も書かれています。印象的なのは、リーダーとしての条件は人の立場に立って考えることができる能力、口の堅さ、そして、「リーダーは私憤で怒ってはダメなのです」(同上、55頁)としていることです。


世界のCOVID-19対策の中で、日本の緊急事態宣言や基本的な対策をどう評価するかは依然として難しい問題です。冒頭に書いたように、依然として「起承転結」が明らかではないからです。緊急事態宣言の解除前後の状況を尾身はどう考えていたのでしょうか。医療科学研究所という厚生労働省と関係の深い財団が主催したシンポジウムの記録(「新型コロナウイルス―これまでを振り返り、秋冬に備える―」2020年9月11日、『医療と社会』Vol.30, No.4, 2021、刊行から1年が経過したので全文閲覧が可能、https://www.iken.org/publication/its/past/2020.html)から検討してみます。シンポジウムでは、加藤勝信厚生労働大臣(当時)が来賓として挨拶し、尾身、鈴木康裕(前厚生労働省医務技監、当時は厚生労働省顧問)、釜萢敏(日本医師会常任理事)、大野元裕(埼玉県知事)、中山譲治(日本製薬工業会会長)、脇田隆字(感染症研究所長)が発言し、パネルディスカッションと質疑応答がありました。その内容は具体的ですが、同時に地味だと言えます。しかし、発言には内輪の会議という意識も感じられ、率直な議論が行われていました。


尾身は、「3月末から4月の時点で、爆発的感染拡大及び医療崩壊を辛くも回避できたのは、緊急事態宣言前後の一般市民の協力、医療関係者及び保険所関係者の夜を日に継いでの努力の結果であった」と述べています(同上、376頁)。ワクチンや治療薬が確立していない段階では、国民に行動変容を求めるしか対策がなく、尾身は、国民の協力を率直に評価していました。


2021年7月、緊急事態宣言も東京では4回目となり、ワクチンの登場によって、対策の重点は変化していますが、しかし、依然として国民に「自粛」を求めていることには変化がありません。第1回の緊急事態宣言の解除に関して、西村担当大臣は、「日本は民主的なやり方、非常にリベラルなやり方で収束させたということです。ロックダウンという強制力を持たないやり方で、国民が自粛してくれました。ある意味、横並び主義という同調圧力がいい方向に働いて、連帯感を持ってできた」(前掲『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』439頁、インタビューは2020年9月15日)と述べています。対策の責任者の一人が「同調圧力」が対策を機能させたと指摘していることは注目されます。感染者や死者数がヨーロッパ諸国や米国に比べて少なかった日本の対策を評価する声も多くありました。WHOのテドロス事務局長もそうした発言をしています(Japan virus fight a ‘success’: WHO, The Japan Times, May 27, 2020, p. 1)。


他方、「同調圧力」が「自粛警察」を生み、人々の行動を規定したことをどのように評価するかは難しい問題です。「安全のために、緊急事態宣言が終わるまでにライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます。近所の人」という張り紙が東京の高円寺にあるダイニングバーの入り口で見つかりました。休業中に無観客でオンラインの配信ライブを行ったためのようです(「忍び寄る「自粛警察」」『東京新聞』2020年5月2日、夕刊、1面)。「同調圧力」は、peer pressureと英訳されるようですが、「同調圧力」の持つうっとおしさや息苦しさがうまく表現されていません(鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力』講談社現代新書、2020年8月、54~55頁)。総じて、COVID-19対策における「日本モデル」をどのように評価するかは大きな課題なのです(COVID-19 versus Japan’s culture of collectivism, The Japan Times, May 23, 2020, p. 8)。


民間臨調の報告書は、2020年前半の様々な取り組みについて、「我々が見ている結果が、政策によるものなのか、それ以外の外部要因によるものなのか、その因果関係を推測することはできても、立証することは難しい。……そうした観点からは、これらの様々な取り組みをまとめて「日本モデル」として概念化し、普遍化することを第一義的に検証の目的とするのは少なくとも今の時点では適切ではないだろう」(前掲『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』第4部「総括と提言」、431頁)、と述べ、「日本モデル」に関しては歯切れが悪いのですが、「起承転結」が明らかではない中でやむを得ないことだと思われます。「日本モデル」に関しては、専門家組織の位置づけ、地方自治体が独自に類似の宣言を行ったこと、休業補償をめぐる問題など、法制度に関わる論点も多いのです(大林啓吾「法制度の憲法問題―─新型コロナウイルスのケースを素材にして」、同編『感染症と憲法』第2章、青林書院、2021年3月)。この問題は、今後あらためて論じることにしますが、私の印象を言うと、「日本モデル」は一回しか効き目がない、ということです。



取材、リモート授業、法事


緊急事態宣言の解除の前後、新聞や雑誌などからの取材の依頼があり、それらは全てリモートで行われました。NHKのBS番組「コロナ新時代への提言~変容する人間・社会・倫理~」もその一つで、インタビューは5月初め、放送は5月後半、人類学者・山極壽一、哲学者・國分功一郎との対談形式でした。有能なディレクターが相互に関係する質問をして、発言を上手に組み合わせあたかも意見のドッジボールをしているかに見せる構成でしたが、お二人にお目にかかる機会がなくてたいへん残念でした。うまく答えられなかった質問やかみ合わない点もあって、歴史学からの発言としては、「コロナ(感染症)は歴史を変えるか(変えたか)」という大きな質問について、うまく答えられなかったかもしれません。COVID-19のパンデミックの中で、冷静に歴史を見ることができなくなっているので、「変えた(変える)」派が多いのですが、この点に関して私は保守的で、「感染症が歴史を変えた」事例はあったと思いますが、それほど多くないと思っています。


この時期、学生との対話はすべてリモートになりました。大学人の一人として、リモート授業の功罪をていねいに議論する必要を感じます。2021年度に関しても、4月初めに対面で授業ができていた中で、感染拡大や東京都の緊急事態宣言(第3回)のため、多くの授業がリモートに変更されました。その後、状況が変化し対面を再開、しかし、緊急事態宣言(第4回)によってリモートにもどりました。COVID-19の間隙を縫って開催した対面の4年生卒業論文ゼミでは、「こうした授業はほぼ1年ぶり」という声が上がりました。2020年にも、授業という表のカリキュラムと同時にサークルや寮、研究室などの裏のカリキュラムも大学の意義なのだという教員の意見があったことを紹介しておきましょう(「遠隔化は大学の危機」『毎日新聞』2020年6月24日、朝刊、8面)。大学図書館や各地の図書館が休館となり、研究に影響していることが、2020年4月後半に行われた人文・社会科学系大学院生や教員などへのアンケートの結果として報告されています(アンケート自体もネット経由、「図書館休館「研究に影響」」『東京新聞』2020年5月11日、朝刊、22面)。『現代思想』Vol.48-14(2020年10月)は「コロナ時代の大学」の特集でした。「コロナ(感染症)は大学を変えるか(変えたか)」という問題は、収束してから冷静に考える必要があります。現段階での私の印象は、大学を変えたいと思う人がコロナを使うだろうということです。


6月12日、10万円の特別定額給付金が振り込まれました。請求書類が届いたのが5月30日、翌日に投函したので、5月末に役所についたとしても給付まで2週間かかっていません。私は横浜市の住民ですが、これにはいささか驚きました。この時期、書類も届かないし、手続したにもかかわらずなかなかお金が振り込まれないという報道がたくさんあったからです(「10万円支給 関東2.7%」『東京新聞』2020年6月7日、朝刊、1面)。7月10日付の給付完了通知書というハガキも届きました。振込にもたいへんな労力がかかったと思いますが、ハガキも同様でしょう。給付金が一律に振り込まれることに違和感を持った方も多かったのです。ある投書は、公務員と年金受給者を支給対象から外し、より困っている人に増額して給付すべきという意見でした(『東京新聞』2020年6月3日、朝刊、5面、70代の女性)。この方は、請求自体をしなかったようですが、私は以前にも書いたように、お世話になった病院や訪問看護の組織にいささかの寄付を行いました。



COVID-19のパンデミックの中で経済的に困窮する学生に対して、最大20万円の現金給付を行う制度が導入されました。留学生に関しては学業成績が優秀であることが条件とされ、上位25~30%への支給となることが決定されたときにはたいへん驚きました(「学生現金給付 日本人と差」『東京新聞』2020年5月22日、夕刊、7面)。6月2日の記者会見で、萩生田文科大臣が説明を行っています(文部科学省HP、「萩生田光一文部科学大臣記者会見録」)。反対も多く、制度変更されることを熱望していたのですが、大学などが申請登録すべき内容に依然として成績評価係数が入っており(日本学生支援機構HP、https://www.jasso.go.jp/ryugaku/tantosha/study_j/scholarship/system.html)、そのままのようで心を痛めています。


6月14日は母の三回忌の法事でした。米国にいる妹とその家族は参加できず、ご住職に了解を取り、リモート参加となりました。この時期、「火葬のみ」、「一日葬」などのかたちで、葬儀や法事を少人数で簡素に行うことが広がりました(「コロナ影響で「密」を避ける」『東京新聞』2020年6月19日、朝刊、19面)。



科学(学術)と政策(政治)のはざま


日本学術会議第二部(生命科学)の「大規模感染症予防・制圧体制検討分科会」は、2020年7月3日、「感染症の予防と制御を目指した常置組織の創設について」という提言を行いました(日本学術会議HP、http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t291-4.pdf)。これをもとに、7月20日、日本学術会議の山極壽一会長、上記の分科会委員長をつとめる秋葉澄伯(弘前大学特任教授・鹿児島大学名誉教授)、同分科会幹事の糠塚康江(東北大学名誉教授)が日本記者クラブでオンライン会見を行って提言の内容を説明しました(https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/35666/report)。山極は、会見冒頭で、感染症対策のためには地球環境の保全が必要であり、社会の基盤であるヒトとヒトの関係を失わないことの重要性を強調しました。提言は、A4約30ページに及ぶ大部のもので、内容は多岐にわたります。そのポイントは、内閣府や各都道府県に「感染症予防・制御委員会」(仮称)という常設機関を設置すべきだという点にあります(要旨、iii~iv頁)。そのため、「国が責任をもって感染症に関するデータセンターを設立し、国内全ての感染症および感染症対策に関する基礎的・疫学的・臨床的電子データを保存すべきである」(要旨、iv頁)と提言しました。医療提供体制、院内感染予防など具体的なCovid-19対策に言及しながら、感染症対策をめぐる組織、人材、さらに対策(政策)と学術(科学)のあるべき関係について提言したのです。「感染症の歴史学」が専門である私からすると、「大規模感染症・危機的感染症への対応の記録は、対応の成否にかかわらず、人類の財産ともいうべきものである。国・地方自治体の対策・対応の記録を、後世に利用可能な形で残し、根拠のある政策の立案に資するよう、公的な記録を残す体制を整備すべきである」と述べていることが重要です(8~9頁)。


20世紀後半、日本は多くの感染症の制圧に成功しました。その過程は私の得意分野です。感染症の制圧は、戦争をしなかったこととならんで、「日本の達成」だったことは間違いありません。しかし、多くの感染症の制圧に成功して、主要な死因が感染症から生活習慣病へと変化する疾病構造の転換の中で、感染症対策の中心に位置していた保健所などの組織を縮小し、関係する大学の講座(教室)も閉鎖されたり、再編されました。国立社会保障・人口問題研究所の「社会保障統計年報データベース」によれば、保健所は、都道府県立、政令市、特別市の合計で845(1996年)→535(2006年)→480(2016年)と減少し、医師や保健師、看護師、検査技師などの職員も、同年次に、33,698人→27,750人→28,159人、そのうち、検査技師は、1,386人→1,066人→746人と減少しました(第240表)。


長崎大学熱帯医学研究所の書庫で、制圧された感染症に関係する旧い資料を、当時まだ大学院生だった「八割おじさん」の西浦博とともに整理したことを思い出します。感染症をめぐる研究資料は、いったん制圧されるとほとんどの研究者は関心を示さなくなります。フロントラインの課題とは見なされなくなるからです。そのため、国立感染症研究所などでも膨大な資料を蓄積しているにもかかわらず、その整理や保全にはほとんど手が付けられていません。この間、歴史学の立場からそうした資料の整理や保全に取り組んできました(「歴史疫学(historical epidemiology)という課題――風土病の資料を「つくる」」『歴史学研究』第994号、2020年3月、「感染症の歴史学―─世界史のなかのパンデミックとエンデミック」嘉糠洋陸編『パンデミック時代の感染症研究』実験医学増刊、Vol.39-No.2, 2021年)。現在、COVID-19対策に関係する資料が適切に整理・保全されるかについて大きな危惧を抱いています。資料の廃棄は、感染症の制圧に関わる知見や経験の忘却につながります。



「自粛」をめぐる法・社会・文化


日本のCOVID-19対策には、ていねいに議論されるべき多くの問題があります。日仏両国で弁護士として活躍している金塚綾乃は、2020年7月末、シャルルドゴール空港から羽田空港に帰国しました。2週間ほど前に日本からフランスに移動し、再び日本に戻るために飛行機に乗ったのです。フランスからの出国、日本への入国の様子を、機内で配布され記入を求められた質問票なども含め紹介していて、参考になります。


金塚の指摘は、日本入国後の14日間の隔離には明確な法的根拠がないのではないか、ということでした。羽田に到着すると、空港で感染の有無を確認する検査がありました。陰性が確認され解放されたのですが、自宅に戻る際には公共交通機関を使わないようにという「ピンク色の警告書」が渡されました。しかし、交通機関は普通に動いています。金塚弁護士は、係官に確認し、法律を調べました。「つまり、分かったのは、飛行機の中から刑罰を想定した紙に記入をさせられ、検疫所でも繰り返し確認されて怖い思いをさせられたが、実際には、帰国者の日本入国後の行動について私たちを処罰する法律はないということである。しかし、現実には、法律はないのに、帰国者は、申告の違反は刑事罰を科すと脅されて、高いハイヤーに乗って、ホテルの部屋で14日を過ごすのである。仮にそれが貴重な読書の時間になったとしても、それは別の話だ」と辛口のコメントです(「弁護士・金塚彩乃のフランスからの帰国」①「機内で渡された2組の書類」、②「ピンク色の警告書」、③「根拠無き「強制」」。


批判の背景には、対策の法的根拠を明確にしているフランスとそうではない日本の違いがありました。フランスでは、2020年3月15日に感染症を対象に加えた「外出禁止令」が発令され、「公衆衛生上の緊急事態に関する法律」が19日に上院、21日に下院で可決され、24日にこの新法が施行されました。日本の場合、緊急事態が解除されたのちにも行政権限が残されていたことは問題で、同調圧力が強い日本では、「要請」が「強制」へと容易に変化することを危惧しているのです。フランスの行政裁判所は、緊急事態宣言が「往来の自由」(1791年の成文憲法で明確に規定)を侵害していると認める判決も示していました。金原の主張は、2020年6月14日開催の第89回「ゴー宣道場」基調講演と小林よしのりとの対談で示されたものです(金塚彩乃「新型コロナウイルスとフランスの緊急事態法―─日本の「緊急事態宣言」とは何だったのか?」小林よしのり『コロナ論』1、扶桑社、2020年8月)。『コロナ論』の1に続き、2は2021年1月、3は2021年5月(いずれも扶桑社)から刊行されています。小林は、日本はCOVID-19に対してある種の免疫を持っている可能性が高く、また、医療条件が整っており、衛生的環境、マスクや手指消毒などを行う習慣から、スウェーデンが選択した集団免疫路線を選択すべきだったのだという主張を2020年5月ごろから明確に述べていました。


『コロナ論』1には、木村盛世(元厚生労働省医務技官)も登場しています。木村は、『新型コロナ、本当のところどれだけ問題なのか』(飛鳥新書、2021年2月)の中で、COVID-19対策への基本的な考え方をまとめています。高齢者や基礎疾患のある人を対象として医療的対応をとりながら、集団免疫路線を取るべきだという考え方は、日本の選択した対策への批判としてさまざまな人々が主張しているものです。その対極にあるのが、徹底したPCR検査によって陽性者を確認し、感染を抑え込むべきだという考え方です。日本が選択したのはそのどちらでもなく、「自粛」によってウイルスとの接触を減らし、クラスター対策をすすめるというものでした。同書において、木村は厚生労働省の事務次官級医系技官ポストである医務技監に対して厳しいコメントをしています。2017年7月に新設された医務技監が大きな役割を果たすべきだとして、「実際に今回のような事態が起こっても、ほっかむり状態なのです。官邸主導で対策が決定されたとはいえ、首相は保健医療のプロではありません。本来であれば医務技監が現場責任者として登場し、メディアを通じて情報発信を行うべきなのです」(同上、92~93頁)、「感染症の国家的危機が生じた場合は、官邸主導で厚労省医務技監を現場担当者とし、「顔を表に出して」総指揮を取らせるべきなのです」(同上、152頁)と、厳しい批判を行っています。英国のロンドン大学キングスカレッジ公衆衛生研究所長(当時)の渋谷健司も早くから同様のコメントをしていました(「専門家会議問われる役割」『毎日新聞』2020年6月24日、朝刊、13面)。対策の策定において、医務技監は、役人に対しては専門家の顔をしながら、専門家に対しては役人の顔をしていた印象があり、COVID-19対策においてある前例がつくられてしまったことは、今後の感染症対策において残念なことだと言えるでしょう。



東京五輪のくびき


「くびき」は、漢字では軛・頸木・衡と書き、広辞苑によれば、車を引く牛馬の後頸にかける横木の名前です。そのため、「(比喩的に)自由を束縛するもの」という意味に使われます。東京五輪の1年延期が日本のCOVID-19対策にさまざまな影響を及ぼしたことは間違いありません。結局は多くの会場での無観客が決定されました。しかし、その決定にはたいへんな時間と労力を要し、紆余曲折がありました。そんな中で、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、2021年7月14日、菅義偉首相と会談した際に、「我々が日本国内にリスクを持ち込むことは絶対にない」と断言しました(毎日新聞電子版、https://mainichi.jp/articles/20210714/k00/00m/010/155000c)。一方で、五輪にあわせて来日したWHOのテドロス事務局長は、2021年7月21日IOC総会で講演し、「(期間中)完全に(感染)リスクがなくなることはない。大会期間中に症例を特定し、隔離、追跡し、できるだけ早く治療することで更なる感染を防ぐことが成功の基準だ。ゼロリスクはあり得ない」とバッハ会長とは矛盾したことを述べました(毎日新聞電子版、https://mainichi.jp/articles/20210721/k00/00m/050/040000c)。こうした発言が日本の多くの人々の気持ちを逆なですることになりました。


2020年春に緊急事態宣言(第1回)が出された時期に比べると、新規感染者の数はたいへん多く、1年以上をかけて、重症者などへの医療的対応のキャパシティーが拡充されたとはいえ、2021年8月2日現在、病床のひっ迫が問題となりつつあります。感染状況を示す指標がステージという考え方です。ステージという言葉は勝手に使われているのではなくて、政府による明確な定義づけがあり、2020年8月7日、新型コロナウイルス感染症対策分科会がⅠ~Ⅳの具体的内容を明示し(内閣官房HP、https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/bunkakai/kongo_soutei_taisaku.pdf)、2021年4月15日の同分科会で、微調整されました(同上、https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/taisakusuisin/bunkakai/dai2/gijisidai.pdf)。ステージは、「医療のひっ迫具合」「療養者数」「PCR検査の陽性率」「新規感染者数」「感染経路が不明な人の割合」から判断され、このうち、「医療のひっ迫具合」は「病床使用率」(ステージ3:20%以上、ステージ4:50%以上)、「入院率」(ステージ3:40%以下、ステージ4:25%以下)、「重症者用病床の使用率」(ステージ3:20%以上、ステージ4:50%以上)の3項目で判断されます。それらにもとづき、自治体ごとにCOVID-19の感染状況がステージで示されますが、昨年からずっとステージという表現を聞くと心穏やかではありませんでした。それは、検診でがんがわかり、治療の中でステージという言葉をめぐって一喜一憂したことを思い出してしまうからです。カナダやオーストラリア、南アフリカのように同じくステージという言葉を使っている国もありますが、外務省の海外安全HPで提供されている在外公館の情報を眺めてみると、多くの国ではレベルという言葉を使っているようです。この言葉をよく聞くようになったので、そうした想いを持つ者もいることを発言しておきます。


2021年になって、異例の速度で実用化されたワクチンの接種が進む中で、COVID-19のパンデミックは「転」の段階に入ったかに見えます。しかし、ワクチン接種が進んだのは、その生産が可能な国やG20などの経済力のある国で、アフリカ諸国などにワクチンがゆきわたるのは2022年になるだろうと予測されています。日本のワクチン接種はさまざまな問題を抱えていますが、後に触れることにします。その中で、「起承転結」の「結」の姿が見通せません。この連載も「結」になるにはまだだいぶ時間がかかりそうです。書き留めておきたいことがたくさんあってどうしても長くなってしまいがちな中、お付き合いくださって有難うございます。予定では、今回は、米国はじめ諸外国の状況や対策のあり方をもっと書くつもりでした。特に、米国は、2020年3月末から急速に感染が拡大し、1日あたり3万人を超える感染が明らかになり、いったん減少に転じたものの、6月中旬以降再び拡大傾向となりました(「米コロナ感染再び拡大」『東京新聞』2020年6月26日、朝刊、10面)。6月末、世界全体での感染者は1000万人を超え、米国やブラジル、ロシア、インドなどで感染が拡大していました(「新型コロナ1000万人感染」『信濃毎日新聞』、2020年6月29日、朝刊、2面)。次回は、そうした状況にもう少し触れるつもりです。


(つづく)



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飯島渉(いいじま わたる)

1960年生まれ。青山学院大学文学部教授。「感染症の歴史学」を専門とし、東アジアのペスト史やマラリア史を研究してきた。『感染症の中国史』(中公新書、2009年)、『高まる生活リスク――社会保障と医療』(共著、中国的問題群、岩波書店、2010年)、『感染症と私たちの歴史・これから』(清水書院、2018年)など。長崎大学熱帯医学研究所客員教授、獨協医科大学特任教授、目黒寄生虫館理事。感染症対策の資料を整理・保存する「感染症アーカイブズ」(https://aidh.jp/)の代表もつとめている。


本連載は偶数月に更新します。次回は10月中旬の予定です。



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