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連載 私のコロナ史 第10回(最終回) アフター・コロナさえも忘却の彼方に、けれどもそれに抗ってみたい

まず、お詫びから


2020年12月15日に始まり、これまで合計9回を数えたこの連載も、2023年には一度も更新できませんでした。まず、これまで連載を読んでくださった方々にお詫び申し上げます。しかし、いつの間にか終わってしまったというのは主義に反するので、なんとか最終回として第10回を書きました。


あらためて書き始めてみると、自分でもどんなことを書いてきたのかを忘れてしまっていたほどです。そこで、過去のタイトルとアップロードした時期を書いてみます。



第1回では、連載の基本的方針を次のように書いています。

1) 事実の確認のために、できる限りダブルチェックを行う。事実関係に関しては、異なった資料で確認しながら書く。

2) 日本だけではなく、世界の状況の中でのコロナ禍を具体的に書く。ただし、実際に現場に行くことができるわけではないから、体験というわけにはいかないことに留意する。

3) 「小さな歴史」をすくい取る、

です。


振り返ってみると、とりあげた多くのことがらの事実関係は複雑で、1)と2)も欲張った方針でした。1年前の出来事を振り返るのも方針の一つでした。しかし、ある程度時間が経過しないと公開されない資料も少なくありません。例えば、公文書館で見ることが出来る資料がそれです。その意味で、1年前のこととはいえ、現在進行形のことがらを書くという行為がとても難しいことを実感しました。何とか達成できたのは、「小さな歴史」をすくい取ることでしょうか。これにはかなりこだわったつもりです。2021年には5回書いたものの、2022年にはそれが3回となり、結局、2023年には一度も書けませんでした。間断なく連載を行うことがどれほどしんどい作業なのかを思い知った次第です。


歴史化のための弁明


2023年に原稿を書けなかったのは、自らの怠慢とともに、大きな理由が三つありました。第一に、かなりの時間を『感染症の歴史学』(岩波新書、2024年1月)のために費やしたことがあります。その第1章で、COVID-19のパンデミックをとりあげました。一応の「起承転結」を書かねばならず、WEB上の連載に時間と労力を割けなくなりました。また、同じことを書くわけにもいかず、自縄自縛に陥りました。しかし、なんとか新書を刊行できたのは、この連載を書いていたからでもあります。


第二に、2023年の前半には、日本学術会議の提言のドラフトを書いていたことがあります。予想以上にたいへんな仕事で、たくさんの時間をとられたのですが、なんとか「新型コロナウイルス感染症のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承のために」(2023年9月26日、日本学術会議)の公表にこぎつけました。これについては、後ほど触れることにします。


第三に、ちょっと身辺が慌ただしかったことがあります。2024年4月1日付けで長崎大学に異動しました。ポストの名前はとても長く、正確に書くと、「長崎大学熱帯医学研究所教授、附属熱帯医学ミュージアム館長」、また、5月から「大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授」を兼任することになりました。


長崎大学との関係は長く、ここ20年ほどの間に、所蔵している感染症関係の資料をたくさん見せていただき、研究を進めてきました。まだ大学院生だった西浦博君と一緒に、夜中じゅう古い資料を複写したことも思い出されます。今回、ご縁あってこのポストに異動し、熱研、熱帯医学ミュージアムでは「風土病の歴史学」を、大学院(Graduate School of Tropical Medicine and Global Health=TMGHと略称します、東京の新宿にサテライトキャンパスがあります)では、「COVID-19の歴史学」を課題としています。しばらくの間は、長崎と東京を行き来しながら、引き続き「感染症の歴史学」の研究と教育を進めることになりました。


2021年と2022年の記憶


これまでの連載では、2021年夏までしかフォローできていないので、まず、2021年と2022年に何があったかをざっと振り返ってみましょう。こんな時に役に立つのが、年末に発表される10大ニュースです。2021年末、私が紙で購読していたのは地元の神奈川新聞でした。12月30日に掲載された同紙の2021年国内10大ニュースは、


1:東京五輪・パラ無観客開催(7月23日五輪開催式)

2:新型コロナで度重なる緊急事態宣言

3:菅首相退陣、岸田政権誕生(9月3日退陣表明、自民党総裁選をへて10月4日)

4:第5波で医療崩壊(デルタ株による夏の第5波)

5:衆院選で自民絶対安定多数(10月31日投開票)

6:東日本大震災10年(3月11日)

7:眞子さん、小室圭さんと結婚(10月26日に結婚、11月渡米)

8:記録的大雨、熱海で土石流(7月3日)

9:コロナ接種率7割超(12月8日の政府集計)

10:藤井聡太さん最年少四冠(『神奈川新聞』2021年12月30日、10面)


国際10大ニュースは、


1:バイデン米政権発足(1月20日)

2:アフガン米軍撤退 タリバン政権に(8月30日完全撤退)

3:大谷「二刀流」で大活躍 満票、MVP初選出(イチロー以来)

4:新型コロナ 世界の死者500万人超(11月1日、ジョンズ・ホプキンス大学集計)

5:ミャンマーで軍事クーデター(2月1日、同時に非常事態宣言、アウンサウンスーチー国家顧問兼外相を拘束)

6:香港リンゴ日報、民主派弾圧(6月24日廃刊)

7:トランプ支持者が議会襲撃・一時占拠(1月6日)

8:中国共産党が歴史決議 習氏3期目へ(第19期中央委員会第6回総会)

9:松山マスターズV、日本男子初(4月11日)

10:G7首脳声明に台湾明記 米中対立激化(6月13日)(同上、11面)、でした。


国際ニュースに野球の大谷やゴルフの松山の活躍が入っているのが面白いとともに、わずか3年前のことなのに、その時期の記憶がほとんどなくなっていることに驚かされます。


Japan Timesも、2021: Image of the yearという特集記事を12月30日と31日に掲載しています。31日には、COVID-19: The long crisisとして新型コロナ関係の大小9枚の写真を掲載しました。大きな扱いは2021年1月の横浜市の様子で、晴れ着姿の女性がマスクをしています。多くの行事が中止やオンライン開催となるなか、横浜市では数千人がsocial distanceをとりながら集まりました。


他の4枚は日本の様子で、そのうちの1枚は、9月、岐阜の在宅医療クリニックの所長が防護服で在宅の新型コロナ陽性の女性の面倒を見ている写真です。説明によれば、東京在住の母親とのこと。他は、東京・板橋の病院の救急センターで看護する防護服姿の女性看護師、築地市場に開設された集団接種会場でのワクチン接種の様子、そして、東京五輪の開会式の空席の観客席と国旗の写真でした。写真の選択とその配置から明確なメッセージを読み取ることができます。


外国の様子が4枚、4月に開催されたインド・ハリドワールでのヒンズー教の行事でのマスク姿、フランスでワクチンの事実上の義務化や規制の強化に抗議する女性の姿、南アフリカのケープタウンでワクチン接種を準備するヘルス・ワーカー、10月の北米西海岸のロサンゼルスとロングビーチ港沖に滞留するコンテナ船の様子、でした。


2022年の10大ニュース


2022年にはどんなことがあったのでしょうか。やはり新聞の特集を見てみます。この時期は、東京新聞を購読していました。国内の10大ニュースは(東京新聞、12月30日、朝刊2面)、


1:安倍元首相銃撃、国葬(7月8日、国葬は9月27日)

2:教団と政治癒着(世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党国会議員との癒着、12月10日被害者救済法成立)

3:進む円安 物価高(春以降、ロシアのウクライナ侵攻や日米金融政策の差異が理由)

4:五輪汚職15人起訴(8月関係者の逮捕・起訴、11月入札談合疑惑)

5:知床で観光船沈没(4月23日)

6:安保政策を大転換(12月16日、敵基地攻撃能力の保有を明記)

7:置き去り死相次ぐ(9月5日、静岡県でこども園に通う女児が送迎のバス内で死亡)

8:原発60年超可能に(福島第一原発事故後の原子力政策の転換)

9:水際緩和 人出もどる(10月、水際対策の大幅緩和)

10:ジブリパーク開園(愛知県長久手市、11月1日)


世界の10大ニュースは(同上、朝刊1面)、


1:ロシア、ウクライナに侵攻(2月24日)

2:韓国で雑踏事故(ソウル・梨泰院、10月29日)

3:英女王96歳で死去(エリザベス女王、9月8日)

4:習体制異例3期目(中国共産党第20回大会、10月)

5:米でインフレ進行(対ロシア経済制裁などのため石油、天然ガス、食品価格の上昇)

6:北朝鮮ミサイル最多60発(3月、ICBM発射凍結解除)

7:米中対立が深刻化(8月ペロシ下院議長が台湾訪問)

8:世界の人口80憶人(11月、国連推計)

9:ツイッターを買収(10月27日、イーロン・マスクが6兆円で)

10:W杯、日本8強逃す(サッカーW杯カタール大会、予選で独、西に勝利、決勝トーナメントでクロアチアに敗れる)


でした。2022年には新型コロナ関係の記事が一つもありませんでした。


2022年7月8日の安倍元首相の暗殺事件の日に、私はある市民講座で新型コロナについて講演していました。質疑応答の時間に、参加者から「安倍首相が銃撃された、これはコロナと関係していると思うか」という突然の質問があり、答えに窮したことを鮮明に思い出します。


2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は大事件でした。残念ながら、2024年夏の現在もその終結は見通せません。振り返ってみると、2022年の春ごろから、社会の関心がCOVID-19のパンデミックから遠ざかっていったことがわかります。


パンデミックの「終わりのはじまり」


2023年5月8日、日本政府は新型コロナの感染症法上の分類を5類に変更し、以後、季節性インフルエンザと同等の対策をとることになりました。これは、事実上の収束宣言でした。2009年の新型インフルエンザの流行では、2011年3月末に季節性インフルエンザなみの対策をとることになった前例にならったものです。それは、新型コロナへの理解を変えて、そのウイルスと「共存」「共生」することを意味します。


対策変更の結果、新型コロナの感染状況の正確な把握が困難になりました。ちなみに、対策変更から数カ月がたった2023年9月初めの状況は次のようなものでした。8月28日から9月3日の一週間で報告された全国の患者数は、一医療機関あたり20.50人で、三週連続で増加していました。同9月7日には、オミクロン株の新たな派生型である「BA・2・86」が日本国内ではじめて確認されました(『毎日新聞』2023年9月9日、朝刊、23面)。こうした中で、厚生労働省の専門部会は、新型コロナのワクチンの接種を国費で負担する制度を2024年3月までとすることを了承しました。


新型コロナがなくなったわけではないので(事実、この原稿を書いている2024年夏には日本の各地で新型コロナの感染が拡大したことが伝えられました、電車やバスの中でマスクをしている方の数も少し増えた気がします)、対策の転換は、「終わりのはじまり」と言うべきでしょう。そうした中で、新型コロナの後遺症や高齢者・基礎疾患のある人へのワクチン接種のあり方も課題となっています。


2020年以来の新型コロナの流行の中で、本当にいろいろなことがありました。しかし、その時々の問題を思い出すことが難しいのが実情です。次のようなこともその一つです。当初、PCR検査は簡単に受けることができませんでした。市販の検査薬なども登場しましたが、正確な検査ができるかどうかが問題となりました。しばらくすると、街中のいたるところに「無料検査所」という看板が目に付くようになりました。私もどんなところなのかよくわからないまま、その前を通っていました。これは、政府補助金に基づく無料検査事業で、補助金の不正申請も多かったようです。首謀者のA社が、代理店に業務委託を行い、その代理店が検査所を設けずに、従業員の唾液などを収集し、不正に補助金を申請するというのが手口です。補助金は、検査費用8500円と関係経費3000円の合計11500円でしたが、実際にかかるお金は、唾液の容器150円と検査経費2000円だけです。代理店の下請けも登場し、ある2次代理店はアルバイトをやとって組織的な不正を繰り返し、首謀者の会社から1件につき2000円が支払われると、500件の不正請求によって、一日で100万円を手にすることができました。この結果、47都道府県のうち7都県で不正申請が確認され、その金額は、東京都約183億円、大阪府約43億円、神奈川県約11億円にのぼりました(『毎日新聞』2023年9月4日、朝刊、1、3面)。


ポスト・コロナ社会の課題


2023年9月1日、内閣法が改正され、内閣官房に「内閣感染症危機管理統括庁」が設置されました。将来的に起こりうる新興感染症に対して迅速かつ的確に対応するための司令塔の機能を担うことを狙った組織です。通常は、「政府行動計画」の内容の充実、訓練を実施し、新興感染症の危機に際しては、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」にもとづいて設置される政府対策本部のもとで、「国立健康危機管理研究機構」(新型コロナ対策で重要な役割を果たした国立感染症研究所と国際医療センターを統合して設置される予定)とともに、感染症危機対応に関わる政府の方針を策定し、各省庁が進める対策の総合調整を実施します。


内閣感染症危機管理統括庁は、2024年7月2日、2013年制定の「政府行動計画」を改正した新たな『新型インフルエンザ等対策政府行動計画』を公表しました。これは、新型コロナの経験にもとづき、新興感染症の流行の際の医療・公衆衛生の体制を示したものです。その内容は多岐にわたりまずが、「記録の作成や保存」として、


「国、都道府県及び市町村は、新型インフルエンザ等が発生した段階で、政府対策本部、都道府県対策本部および市町村対策本部における新型インフルエンザ等対策の実施に係る記録を作成し、保存し、公表する。」(32頁)


という文言が盛り込まれています。しかし、この行動計画ではその具体的方法が書かれていません。


新型コロナの資料、記録、記憶を残す


冒頭で触れた日本学術会議の提言では、新型コロナウイルス感染症のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の保全と継承が必要であることを指摘し、そのために、


新型コロナのパンデミックをめぐる公文書、保健所などの資料、記録を残すこと、

「新型コロナ関係資料アーカイブズ」を構築し、社会を記録するための作業を行うこと、

デジタルデータからは理解できないモノを保全するために博物館機能を強化すること、


の3点を提言しました。


残念ながら、この提言が影響力を持ったとは言い難い状況です。そこで、個人として出来ることからという意味で、まず、2024年になって朝日新聞の「私の視点」に、新型コロナをめぐる社会の記録を保全・継承することの必要性を主張する文章を投稿しました。朝日新聞への投稿は2回目で、最初の投稿は掲載されなかったのですが(沖縄関係の別の話題、その後、『中国史が亡びるとき』研文出版、2020年、に掲載)、今回は無事掲載に至りました(「私の視点 消えゆく新型コロナの記憶 「社会の記録」保存早急に」『朝日新聞』2024年1月26日、朝刊、13面)。投書を読んでくださった大分県の医師が、趣旨に賛成するとして、「新型コロナ 総合的な記録保存を」という投書をしてくださいました(工藤政信氏、『朝日新聞』2024年2月19日、朝刊、6面)。


新型コロナウイルス感染症が5類に変更になって一年が経過した2024年5月8日、朝日新聞の社説は「コロナ5類1年 検証し、教訓の継承を」(『朝日新聞』朝刊、10面)を掲載し、その中で日本学術会議の提言にも触れています。「社会の記録、記憶を残す」ことへの賛同に意を強くするとともに、「政府の文書は一定期間を過ぎても永久保存されるが、自治体や保健所の資料となると心もとない」という記述が気になりました。実は、事前に取材を受けたのですが、誤って理解されたかもしれません。実際には、今回の事態が「歴史的緊急事態」となったものの(閣議了解)、政府文書のうち保存・継承されるものはそのごく一部に過ぎないからです。


保健所の資料は残るか?


2024年に入って、私は、国立公文書館、東京都公文書館、神奈川県立公文書館などで、新型コロナ関係の公文書等の閲覧を始めました。現段階で閲覧可能な文書は多くなく、また、閲覧が許可された文書の多くは現用文書としての保存年限の短いものです。保存年限が長い、つまり重要度が高い文書等の閲覧にはなお相当の時間を要します。新型コロナの流行やその対策をめぐる事実の確認にはある程度の時間がかかると書いたのはそのためです(飯島渉「新型コロナのパンデミックをめぐる資料、記録、記憶の行方―後世の社会に引き継ぐために」『日本歴史学協会年報』第39号、2024年)。


新型コロナ対策の最前線に位置した組織の一つは保健所でした。職員の方々の努力は忘れることができません。ところが、保健所の資料、記録、記憶の保全と継承はとても困難です。保健所の資料は公文書行政の谷間に位置していて、例えば、東京都公文書館は、都が管轄している公文書を収集・整理・公開する機関であるため、中野区保健所のように23区の特別区の保健所は管轄外だということにあらためて気づきました。日本学術会議の提言のドラフトを書いていた時には、不明にもこうした点に気づいていませんでした。


情報公開請求によって、行政文書の公開を求めることができます。その意味では、公文書の管理、公開の制度は、形式上は整っているわけですが(そのため、公文書館がない地方公共団体も、形式上は公文書公開制度を持っていることになります)、このままでは、膨大な保健所の記録は、3年から5年とされる保存期間が過ぎると廃棄される運命にあるのです。これは、新型コロナ対策の中で蓄積された「現場の知恵」を放棄してしまうことにつながります。


そこで、関係の方々と協力して、この問題を広く訴えることにしました。2023年11月には、医療関係の学会であるグローバルヘルス合同大会でシンポジウムを開催し、2024年10月の日本公衆衛生学会(第83回、札幌コンベンションセンター)でも、保健所関係の方々と資料を残すためのシンポジウムを企画しています。


新型コロナをめぐる保健所の資料、記録に関しては、『終わりの見えない闘い―新型コロナウイルス感染症と保健所』という記録映画をぜひ紹介しておきたいと思います。このドキュメンタリー映画を製作した宮崎信恵監督は、中野区保健所の協力を得て、2020年3月から2021年4月の同保健所の職員の様子―それは、まさに、「闘い」という表現がふさわしいものでした―を記録しました。2024年3月には、青学でも上映会を開催しました。さまざまなところでそうした機会が企画されているので、ぜひ、皆さんにも見ていただきたいのです(ピース・クリエイトHP


長崎大学の挑戦―赤と青


長崎大学がコロナ対策の経緯をまとめていることは知っていました。長崎に着任してから、ようやく『新型コロナウイルスパンデミック記録集 長崎大学の挑戦―長崎大学病院・熱帯医学研究所・大型クルーズ船コスタ・アトランチカ号集団感染編』(長崎文献社、2023年5月)と『新型コロナウイルスパンデミック記録集 長崎大学の挑戦―長崎大学本部・学部編 2020.1~2021.9(第1波~第5波)』(長崎文献社、2023年5月)の2冊の記録集を手に取ることができました。表紙の色から「赤」(前者)と「青」(後者)と通称されています。学生や教職員の記録なので、当初は学内周知にとどめる予定だったところが、編集が進む中で、図書館や公共機関にも送って多くの方に読んでいただくことになったとのことです。




「100年後の長崎大学人や日本のアカデミアに生きる人々のために」、「2020年初頭から世界へ広がった新型コロナウイルスによるパンデミックによりわたくしたちに何が起こったのかをここに書き残します」という記録集の編纂の目的を、責任者となった濵田久之教授(長崎大学附属図書館長)が書いています。その背景には、感染症の専門家の河野茂学長(当時)が「記憶の薄れないうちに、人々の思いが熱いうちに記録集を出すことが重要である。・・・新型コロナウイルスのパンデミックの当初の緊張感や恐怖はすでにほとんどの人が忘れている。それに伴い、自分が何をしたかも忘れてゆく。人はそういう生き物だ。しかし、大学人としては、記録を残すことが使命だ。この本は、後世の大学人に何かに利用してもらえればいい。きっと役に立つはずだ」と考えていたことがありました。


こうした記録集は、名古屋市立大学奈良県立医科大学等も出しています。いずれも、医学部を持つ大学ですが、多くの大学が広くこうした記録をまとめることを期待しています。

注目されるのは、安岡健一大阪大学准教授が日本学専攻の学生さんたちと進めてきた新型コロナをめぐる経験の蓄積、オーラルヒストリーの試みです。学生たちは、学園祭でもインタビューを進め、その内容の一部を、『コロナ禍の声を聞く―大学生とオーラルヒストリーの出会い』(安岡健一監修、大阪大学日本学専修「コロナと大学」プロジェクト編集、阪大リーブル77、2023年11月)として公刊しました。


こうした試みは外国でも行われています。2023年5月、台湾の国立成功大学で「大疫考現学」という大学院のセミナーが開催され、私も飛び入り参加しました(この台湾行は、ほぼ3年ぶりの外国渡航でした)。セミナーは、国立成功大学と国立台湾歴史博物館を会場として二日間にわたって行われ、大学院生や学部生が、モノを残す方法を学んだり、自らの体験を話し合って、コロナの記録を残す試みを進めたのです(詳しくはこちら)。


英国検証委員会の活動


アフターコロナの時代の課題が、COVID-19のパンデミックを振り返り、将来起こりうる新興感染症への対応をより適切かつ成熟したものとすること、であることは言を俟ちません。その意味では、2022年6月から始まった英国検証委員会(UK COVID-19 Inquiry)の動きはもっと紹介されるべき内容を含んでいます。


委員長に就任したのはヘザー・キャロル・ハレット氏(1949~)で、刑事弁護士となり、女性最初の弁護士会会長、高等法院常勤判事や控訴裁判所判事を務めた人物で、ハレット男爵夫人でもあります。


その活動をごく簡単に紹介すると、現在、レジリエンスと準備、意思決定と政治的なガバナンス、医療システムへの影響、ワクチンと治療薬、調達、医療的なケア、検査・追跡・隔離、子どもと若年層、経済的な影響という9の検討課題(modules)に従って、それぞれ関係者へのインタビューを実施し、同時に、COVID-19のパンデミックのもとでのさまざまな経験を一般の人々も投稿できる仕組みを備えています。対面で経験を共有する集会も各地で開催されています。


2024年7月には、モジュール1として、レジリエンス(resilience)と準備(preparedness)に関する報告書が公表されました。今後、順次、モジュールごとに報告書が公表されるようです。英国の医療制度や司法制度に詳しくないので、ぜひ、専門的な知識を持つ方が英国検証委員会の活動についてもっと詳しく紹介して下さることをお願いします。ジョンソン元首相もこの検証委員会で証言を行っており(2023年12月6日)、約2時間半に及ぶインタビューを見ることができます。


歴史への「介入」


日本学術会議の提言ののち、もう少し、COVID-19のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶を残す動きがさかんになるかと思っていたのですが、そうはなりませんでした。のど元過ぎればなんとやらで、コロナ禍の中ではそれを話題にしない日はなかったのに・・・。新書の最後にも書きましたが、「コロナ後の世界と言えど三・四年経てば忘れてしまふよみんな」という印象的な歌が2020年にすでに詠まれていました(現代歌人協会編『二〇二〇年コロナ禍歌集』同所、2021年、28頁)。確かにその通りになりつつあります。


「感染症の歴史学」を専門とする私は、これまでペストなどの「起承転結」のある程度定まった感染症をとり扱ってきました。日本住血吸虫症やリンパ系フィラリア症という地方病(風土病)も同様で、日本国内では制圧されたこうした感染症が国際保健においては依然として大きな健康課題であることが、調査研究を続けている理由です。


ところが、COVID-19は現在進行形の感染症のパンデミックで、私自身も一市民として、行動を自粛したり、マスクを日々着用し、ワクチン接種をめぐって悩んできました。それを歴史化することが、現段階ではたして可能なのかと迷い、また、日々、資料、記録、記憶が廃棄・忘却されていく現実に直面する中で、むしろ限定された資料しか残されないがゆえに、歴史を描くことができるのではないか、とさえ思ってしまいます。ことほどさように、2023年から24年には、アフター・コロナという言葉も、忘却の彼方となったと感じます。


そんな中で、『感染症の歴史学』を刊行し、直近では、高等学校の先生方と一緒に『感染症でまなぶ日本と世界の歴史―医学・歴史学とつむぐ歴史総合』(磯谷正行、井上弘樹、古澤美穂と共編、清水書院、2024年7月)を刊行し、COVID-19を含む13の感染症を高等学校の歴史総合でとりあげるための情報を提供しました。



長崎大学への異動の目的の一つは、COVID-19のパンデミックを歴史化するための作業をより進めることでした。しかし、それは「歴史への介入」なのではないのか、という疑問も湧きます。19世紀末のペストや20世紀前半のマラリア、そして、日本住血吸虫症やリンパ系フィラリア症を扱っていた時には、資料を残し、それを国際保健などに活用するという論理にほとんど疑問を持ったことがありませんでした。COVID-19のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶を残そうとする中で、はじめて「介入」という言葉を使いました。これは、医療者が患者を治療するときに使われる言葉で、意図的にそれを使ったのです。COVID-19のパンデミックをめぐる資料、記録、記憶を残すことは、その過程で、資料、記録、記憶を選択してしまうことでもあるので、はたしてそれは妥当なのか、という疑問もあります。しかし、意図的に残さないと、多くが残らないことも事実なのです。尊敬する歴史家A・クロスビーは、20世紀初頭のインフルエンザのパンデミックが「忘れられてしまった」と指摘しました。21世紀初頭のCOVID-19のパンデミックはどうなるのか。30年後、100年後の歴史家が現在の状況を再構成するために資料を探し求めたとき、いったいどんな資料に触れることができるのか、決して楽観できません。


反省を一つ。この間痛感したことの一つに、2002年から03年のSARSの流行を歴史化する努力を怠ったことがあります。日本では幸いなことに、患者が発見されることなく終わりました。しかし、それをいいことに、きちんとした歴史叙述をしなかったことが悔やまれます。それも、2020年以来の新型コロナをめぐる混乱の一つの背景だったのです。


連載を終えるにあたって


10回にわたる連載を読んでくださった方々にあらためて感謝申し上げます。原稿の執筆は時にしんどい作業だったのですが、それなしには、時々の想いを記録しておくことが少なく、新書でCOVID-19に触れることは容易でなかったはずです。新書でCOVID-19のパンデミックの「起承転結」を一応書きましたので(「起承転結」は日本語特有の思考論理だということもわかりました)、重複を避けるということで、今回でこの連載をいったん閉じることにします。


表題を「私のコロナ史」としたことは間違いではなかったと思っています。あまりに多くの課題があり、同時にそれらはとても身近なことがらだったからです。資料も膨大で、「私の」という限定をつけなければ書き進めることができないものでした。


最後に最近感じたエピソードを一つ。「隣のBさん」というオーディオ・ドラマを聴きました。製作者の太田真博監督は、2011年にある事件で逮捕され、30日ほどを留置所で過ごしたことがあり、それをモチーフに作品を製作してきたとのことで、2023年には『エス』という映画もつくっています(ここまではネット上の情報で、映画自体は見ていません)。


かなり難解なので正確に伝える自信がないのですが、ナカニシナオという201号室に住むBさん(27歳、プレゼント用のツルの折り紙つくりで食べている)と202号室に住むAさん(19歳、大学生)の会話が中心です。Bさんが「コロナのおかげで」折り紙つくりの仕事ができると言うと、Aさんは「コロナのせいでサークルもバイトも、学生らしいことが何もできない」と怒り出し、会話は、日本の社会が「なんでも自分の責任」「人のせいにするな」という規範意識の刷り込みが強すぎる社会だという議論に発展します。それはコロナ論でもあります。けんか腰の会話も、コロナの中で不足していたコミュニケーションでした。ドラマは、冒頭の電気代が高い(コロナのために自宅にいたからか)という苦情をめぐっての電気会社のオペレーターとの会話で始まり、最後に、オペレーターが全く面識のないBさんにプレゼントをとどけるところで終わります。AさんとBさんは同一人物の、19歳と27歳のナカニシナオで、ドッペルゲンガー(自己像幻視)のバリエーションとも推測できます。


このドラマは事実そのものではないでしょう。しかし、それに近い事実は無数にあり得たと思われます。個人の感覚も、「コロナのせい」と「コロナのおかげ」を行きつ戻りつを繰り返し、それに苦しみ、その中で亡くなった人も少なくありません。いったい、「コロナが歴史を変えたのかどうか」、私は、過度にその影響を強調する素朴な疫病史観には与しないのですが、適切な理解にはまだ時間を要します。次は、『コロナ全史』という不遜なタイトルの本を出したいと思っているのですが、そのためにもこの連載はここでいったん閉じることとします。


最後になりましたが、連載におつきあいくださった皆様、また、文章の調整をしてくださった岩波書店の方々にあらためて御礼申し上げます。有難うございました。また、次の機会があることを願っています。



飯島渉(いいじま わたる)

2024年4月から、長崎大学熱帯医学研究所教授、附属熱帯医学ミュージアム館長、大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科教授。近著として、『感染症の歴史学』(岩波新書、2024年1月)、磯谷正行、井上弘樹、古澤美穂と共編『感染症でまなぶ日本と世界の歴史―医学・歴史学とつむぐ歴史総合』(清水書院、2024年7月)など。


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