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執筆者の写真岩波新書編集部

「踊り続けるんだ」学生の僕は言った。

ロンドン・コーリング

〜芸大生になったライターの「ロンドン紀行」〜

連載第2回


森 旭彦


3ヶ月間住んだ学生寮の最寄り駅「North Acton」。ヨーロッパ周遊の旅に出た8月31日の早朝に撮った一枚。毎日いろんな考え事をして、ここで電車を乗り降りしていた。ここにはもう自分の部屋はないし、9月からは通う学校の場所も変わる。旅から戻ったら、すべてが過去になる。

 

ロンドンに移住して3ヶ月が過ぎた。長かった語学スクール(Presessional Academic English Programme、大学院の入学のために必要な英語の成績が基準点に達していない学生が参加する)も8月でようやく卒業し、9月末には大学院のマスター(修士)コースに進学する。語学スクールでは学生たちが常に「フェイクニュース」に乗って踊って取り乱していた。今回はそんな学生生活について書いてみたいと思う。



卒業をかけたフェイクニュース合戦


「アキー(僕の呼び名)、今日のテストはこんなのらしいよ」


空調のないロンドンの、蒸し暑い夏日のことだ、クラスメイトの女の子が得意げにスマートフォンを見せながら僕に話しかけてきた。その日はスピーキング能力を測るためのディスカッションのテストがあり、彼女は僕と同じディスカッションのグループだった。彼女のスマートフォンには一枚の紙が映し出されており、そこにはいかにもテストに出そうな議題が印刷されていた。「これで練習すれば完璧だよ」と、彼女と僕が所属するグループは大盛りあがりだった。なんでもその紙は午前中のクラスで実施されたテスト(僕たちのクラスは午後のクラスだ)の問題用紙らしく、つまりはテストの“海賊版”だった。


「どうせフェイクニュースだろこれ」


“ひゅっ”という音が聞こえそうなほどに僕のコメントは鮮やかな空振りに終わった。すでにみなは海賊版のテスト問題をつかった直前の練習に夢中なのだ。


語学スクールの学生はほとんどがアジアの学生であり、みな中国産のメッセンジャーアプリ『WeChat』をつかって四六時中、情報交換をしていた。とにかく分からないことや試験に関する有益な情報、恋愛のいざこざから、教師とのトラブルまでの「学生よろずごと」がすべて共有され、誰もが「安い食事、いつもいっしょに居てくれる友達、そしてWeChat」を留学生の「三種の神器」と信じて疑わない状況だった。


WeChatの影響力はすさまじく、教師が口頭で話したテストの概要などの最新情報をクラス全員が光の速さで共有し、ブラックホール並の重力で彼ら彼女ら、そして僕を吸い込んだ。それゆえに問題になっていたのがフェイクニュースだった。誰かが意図的に作り出しているとしか思えないほどに、偽の情報が常にスクールに溢れかえっており、異国の地で何を信じていいか分からない留学生たちがただ取り乱しているという、デジタル社会の縮図さながらの光景がそこにはあった。


僕はそのスピーキングテストの海賊版を見て、村上春樹の「やれやれ」って英語でどう言うんだろうなと思った。まずどう見ても絵面が怪しいのだ。学生寮かどこかのベッドの上で撮影されたように見えるその写真は薄暗く、歪んでいた。さらにどこの誰が入手したものかも分からない。それでもグループの学生たちはその海賊版を信じ込み、直前の練習に励み「なんでアキはやらないの?」と、「君は革命に参加しないのか?」さながらの自信で首を傾げた。


「みんな聞いてくれ、これがもしフェイクニュースだった場合に弱みになる」と僕はグループに告げた。「そしてたぶんフェイクニュースだろう。昔から、こうしたときに嘘くさい話を真に受けると大抵ろくなことにならないんだ。昔話とか、戦での罠の逸話もみんなそういうふうにできてるだろ? こんなものには頼らずに一般的な練習をすべきだ」と、僕は“遺伝子組み換えではない”優等生のような発言をした。しかし彼ら彼女らはまったく耳を貸さず、「フェイクニュース(笑)」「アキは一体何を言ってるんだ」「わたしたちのWeChatに流れてきたんだよ?」ということになり、僕もしぶしぶその海賊版で練習を重ねることになった。


多数派の意見でグループの振る舞いは決まる。これも言ってみればディスカッションなのだ。イギリスの大学では、ディスカッションつまり学生間における議論を授業の多くに採り入れている。クラスの全員が単一の解答を知ることではなく、学生それぞれが解答をつくりだすプロセスを重視する教育というわけだ。しかるに、そのプロセスが意外な方向に転ぶこともある。


かくして海賊版で練習を重ねたグループの全員が、僕を除き、自信満々で試験会場のドアをくぐった。そして試験が始まると、僕たちの眼前には海賊版とはまったく異なるテストが課せられることになったのは言うまでもない。テスト終了後に彼ら彼女ら、そして巻き添えを食った僕は悲しみに暮れて暮れて暮れまくった。


とにかく語学スクールの学生生活はフェイクニュースに振り回されることの連続だった。卒業が近くなると「語学スクールは、実は卒業するのが非常に難しい」といった趣旨のフェイクニュースが蔓延した。僕は「またか」と思い、今度も真のフェイクニュースだと確信していた。そもそもロンドン芸大は、3年分の卒業実績から「98.5%の学生が語学スクールを卒業して大学(院)の本コースに進める」ことをウェブサイトで明示している。地球が降水確率2%の日に突如台風がやってくるような星ではないかぎり、無事に卒業できると言って差し支えないだろう。


おまけに僕の所属していたクラスは、大学院のマスターコースにおける語学の要求レベルが最難関に該当する学生が多く、なんだかんだでみな優秀だった。「This」の発音は舌を噛むような発音をするが、それができなければ何度も言い直しをさせられて実際に舌を噛んだ学生がいたり(僕)、エッセイの中の冠詞「a」と「the」の抜けを徹底的に指摘されて直されるうち、そもそも宇宙はなぜ「the universe」なのかという哲学的な高みに登ってしまって降りてこられなくなった学生もいた。ディスカッションをしても常に退屈なほどの模範解答を繰り出してみせる学生がたくさんおり、みな普通に僕よりも英語が話せていた。エッセイも高度なテーマを扱う者が多く、内容はよく分からないものの、とにかく読み応えがあるものが多かった。もしこのクラスから大勢が落ちたら、他のクラスではもっと多くの学生が落ちるだろうし、そうなれば98.5%という数字を出しているロンドン芸大自体の情報とつじつまが合わなくなる。


一体何をどう考えたらこの圧倒的に高い確率で卒業できる事態に対し、怯える必要があるのだろうか?


それでもなお、「昨年はロバート(クラス担任の講師)のクラスから4人が卒業できなかったらしい」「ロバートはすでにクラスの中で誰が卒業できないかのリストを持っているらしい」といった、もはや芸術的でさえあるフェイクニュースがクラス中を駆け巡った。中には卒業への不安に耐えられなくなり、最終試験のスピーキングで涙を浮かべながら話す学生もいた。とにかくフェイクニュースが学生たちにただならぬ緊張感を与え続けていた。ロバートもこの状況を煽り、「どうしたわけか語学スクールに入ってくる学生たちはみな、全員が卒業できると思っているようだけど、そんなことは無いから」と、ニコニコしながら皮肉たっぷりに話してみせた。学生たちはそうした話を聞くたびに、北京ダックにされる前のアヒルのような、どこか不安げな顔をして戦々恐々としていたのだった。


集団心理というのは恐ろしいものだ。冷静を装っていた僕でさえ、だんだん自分が卒業できないのではないのかと不安になってくるのだ。そう、僕の地球は快晴の日の5分後に突如台風が襲ってきても不思議ではない星になっていたのだ。というのも、フェイクニュースが吹き荒れる中、書いたこともない長文の英語エッセイのために図書館に通って勉強し、何日も徹夜し、ひとりで学生寮にこもって何度も何度もスピーチの練習をしていると、だんだんまともな判断能力を失っていくのだ。僕もしょせんはただの人間であり、フェイクニュースに振り回されるただの学生になってしまっていた。不安になって日本にいる妻に「僕は卒業できないかもしれない」と話していると、彼女は「いや、どう考えても君は大丈夫だと思うよ」とテニスラケットの中央部でボールを受けとめたときのように軽快な返答をしてくれたのは嬉しかった。


結果的に、壮大な茶番を終え、僕のクラスは全員が卒業した。本当に「やれやれ」だった。卒業式に行くと、学生たちは安堵の表情で抱き合い、涙を浮かべて喜んでいた。僕は正直なところ大学の課題よりも蔓延するフェイクニュースによるプレッシャーの方が心理的負担が大きく、感激というより「戦争が終わったんだ」という疲労と開放感の方が強かった。


「アキ、君と勉強できて本当によかったよ」


そんな中、クラスメイトのひとりがパーティで僕にそう話しかけてくれた。「アキはいつも周囲と違う目で状況を見て、周囲の誰とも違う知識を持って思考し、行動していたよね。これからの大学院のコースでの君の成功を祈ってるよ」。彼女とは興味対象も近く、僕たちはよくディスカッションをしていた。当初は同じカレッジに進む予定だったが、途中で彼女は方向性を変え、それぞれ別のカレッジに進むことになった。「僕も楽しかったよ」と僕は礼を言った。そして、もうこのメンバーでディスカッションをしたり、フェイクニュースに振り回されることもなくなるかと思うと少しさびしい気持ちになった。思い起こせば、学生時代は根も葉もない噂話に恋愛から学業まで翻弄されていたものだった。彼女の言葉から、なんだかんだで僕も全力で学生をしていたんだということに気がついた。1500語のエッセイ課題に必死で取り組んだり、作品をつくったり。何日も徹夜したし、自分の能力の無さに泣いたこともあった。大人でもライターでもなく、学生として泣いて笑って、なんとかやってきたんだ。


ちなみに卒業に関しては、笑えない話もあった。どうやらフェイクニュースばかりではなかったようで、卒業式では明らかに姿が見えない学生がいた。隣のクラスや友人のクラスなどで、決して少なくはない学生が卒業できなかったらしい。


語学スクールではなぜか音楽にハマった。最終課題のエッセイもコンピュータ・カルチャーがポップ・ミュージックに与えた影響を考察するものだったし、卒業制作ではロンドンのローカル・ミュージック・カルチャーを取材し、ミュージックビデオをつくった。音楽は社会や文化、人生におけるいろんなことを教えてくれる。



僕たちの美しき「文化的ゴミ」


僕を含む多くの人は、人生というのは「時間の矢」のように一方向にしか進まないと思っている。しかしフェイクニュースに乗って踊ってのたうちまわり、毎日「金がない」と言って勉強ばかりしているうちに僕は、大人であることを忘れてしまっていた。そしていつかしか大人ですらなくなってしまい、ただの学生に逆戻りしてしまった。すると遠き情景の日々となっていた、かつて一度目の学生だった頃の自分が急に近い存在に思えてきたのだ。


あれは約16年前。僕は日本の大阪のとある外国語大学に通う大学2年生だった。絵に描いたように典型的な「サラリーマンなんかになってたまるか」と思っていた学生で、フリーランサーやよくわからない生き方をしている魅力的な主人公が登場する村上春樹の小説をこよなく愛するタイプだった。とにかく周囲に同調するのがカッコ悪いことだと思っていたので、他人の知らない音楽ばかり聴き、小説を読んで、自分が書いたわけでもないのに何かを悟ったようなことをつぶやく。そんな、いい意味では独自路線を行くタイプ、悪い意味ではただ協調性のない落ちこぼれだった。


そんな僕にも友人がいた。「サラリーマンなんかになってたまるか。俺は起業するんだ」と言いながらも親の仕送りで遊び呆けていた九州男児の安藤と、ガソリンスタンドのアルバイトをアニメ『ドラゴンボールZ』に登場する最強の敵キャラ「セル」の声真似でやってのける森田という親友がそうだ。


どこに行ってもセミの鳴き声が響き、巨大建造物のような入道雲が真っ青な空にそびえ立つ、暑い日本の8月の終わりの頃だった。


「ペイントして汚したジーパンが売れるらしいぞ」


安い缶ビールが高層ビル群のようにところ狭しと立ち並ぶ、暇を持て余す男と材料のタコぐらいしか生物上の参加者がいないタコ焼きパーティが終わった食卓で安藤が話しだした。なんでも「ジーパンを汚す」業で起業しようというのだ。この安藤という男が「起業」という言葉をつかうときは「手間と元手のかからないスキマ産業」を指すことが多く、間違ってもシリコンバレーで一旗揚げるようなタイプではないことをここで強調しておきたい。


なんでも安藤独自の市場調査によると、当時のジーンズ・ファッションにおけるトレンドには、ダメージやペンキが飛び散ったようなダーティな演出で良し悪しを競う傾向があったのだという。僕は当時からシルエットがきれいなジーンズをきちんと履くタイプだったので、このトレンドには目を細めていたが、暇つぶしには面白いかもしれないと思って話を聞いていた。彼の作戦は、まず古着のジーンズを東南アジアなどから大量購入し、それに独自のペイントを施し、付加価値をつけた上でネットで高く売りつけようというものだった。メルカリが当たり前になった今なら小学生でも腹を抱えて笑い出しそうなほど貧弱なビジネスモデルだが、当時はまだ初期の「ミクシィ」がかろうじて動き、ネットと言えば「iモード」、メッセージはショートメールサービスの「スカイメール」といった時代だった。まだ「Amazon.com」で買い物をすることも、ましてや「ジーンズに付加価値をつけて売る」といったアイデアを実現する場としてインターネットを活用するということも一般的ではなく、さらには斬新ですらあった。言い換えれば、ひとりの人間やものの価値が、今よりもずっとリアルな時代だったのだ。


かくして日本の夏の暑さにやられた暇人たちの夢の共演が始まった。森田はさっそくジーンズの古着を、十数本が数千円という格安で買いつけることに成功し、喝采を浴びた。到着を今か今かと待っていたところ、現物を郵送によって入手した森田から「古着がちょっと古着すぎたかもしれない(笑)」との連絡がスカイメールで舞い降りた。ジーンズといえばリーバイスが、ゴールドラッシュに集まる人々に作業着を提供して大儲けしたというエピソードが今も起業家周辺のコミュニティでは支持されているが、このとき僕たちが目の当たりにした森田買付によるジーンズは、さしずめゴールドラッシュ当時の残骸そのものを思わせる歴史的遺物に近いレベルのボロ着、すなわちほとんどゴミだった。


ペイントのためのペンキや刷毛を買いつけた僕と安藤の眼前に、股間のきわどすぎる位置に茶色いシミがあるジーンズを筆頭に広がるボロ着の山の光景は、浅はかな自信を一瞬で消火するに十分な、まさに圧巻の一言であった。


しかし、素材と材料と暇のすべてが整った今、後には引けない。「と…とにかく始めようか!」という安藤の一声で僕ら「ジーンズ汚し隊」は熱中症が心配される炎天下の中、安藤家近所の公園に出動した。安藤はジーンズを公園のグラウンド上に広げ、その上で白いペンキをたっぷりと含ませた刷毛を振りあげ、汚れたジーンズをさらに汚してみせた。ペンキの滴が空中で放物線を描いて次々と落下し、ジーンズを着色する。物理法則は暇人のそれにも同様に働くのだ。するとそこには、まるでデパートや古着屋で数千円や数万円の値段をつけて売られているダーティなジーンズそのものができあがったのだ! 僕たちは歓声を上げた。公園を行き来する近所の子どもたちの白い視線を感じながらも、ペンキはジーンズのぼろ生地の上を華麗に踊り続けた。「うお! けっこういけてるんじゃねえか?」と言う安藤につられ、僕も「きっとこれがファッション界における新しい仕事になるに違いない」などとのたまい始めた。股間のきわどいシミで消えかけたはずの僕たちの希望が不死鳥のようにふたたび炎天下の公園で蘇ったのだ。


人間という生き物は本当に不思議なもので、単にジーンズを汚しているだけなのに、次第にそこにセンスの良し悪しを判定するようになる。つまり高度な「作為的ナチュラル」を競うようになるのだ。あまりにも自然な汚れというのは退屈であり、作為的すぎるのは凡庸であると感じるようになる。その微妙な合間を競い合う、そう、僕たちはただジーンズを汚すという、このあまりに限定的すぎる状況下でアーティストの高みへと上り詰めてしまったのだった。


僕たちは全米が泣きかねない「作品」の完成に祝杯をあげ、その日は別れた。そして、それらが本当に芸術作品になってしまうことを、その日の僕たちは知らなかった。つまりそれらのジーンズはインターネットで売れに売れ、夢の「在庫切れ」になることなく、ロンドンとは比べ物にならないほどの暑く長い日本の夏が終わりに差しかかるとともに僕たちの記憶から消えていくことになったのだ。


それというのも、夏が終われば僕たちはあっという間に就職活動に勤しむようになったからだ。ゴミをさらなる「文化的ゴミ」に発展させたあの夏の一日の出来事を、もはや誰も口にすることはなくなった。就職活動は季節ごとに必ず訪れる台風のように大学3年生の僕たちの前にやってきた。そして明確に、僕たちから「ゴミをつくる」ようなことのために消費される時間的余裕をなぎ倒すように奪い、「サラリーマンになりたくない」などと“冒険飛行家”を目指していた友人たちはみな不景気という社会的悪天候の中で飛行機を降り、現実の厳しさから自分の人生を守るための「護岸工事」に精を出すようになった。


あれらのジーンズは、きっと僕たちがあの夏、みながまだ何者でもない学生をただ生きていた時代の「どこへも行けない飛行機」そのものだったのだ。


そして月日が流れ、安藤は世界的に知られる超一流のラグジュアリー・ブランドに就職し、森田はこの安定と安全を極めんとする日本の公務員となった。そして僕は今、その日の思い出をこうして文章にする書き手になり、恐れ多くもこの馬鹿話を岩波新書のウェブサイトに連載するという愚行をぶちかまし、気づけばロンドンにある芸術大学に進学しており、離れすぎたきらいはあるが「サラリーマンにならない」という、もはやどうでもよくなった夢が結果的に叶っている。あの夏の日に集った愛おしき暇人たちはみな、それぞれの幸せを掴み、今を生きている。友人としてこれ以上に喜ぶべきことはないのだ。


ロンドンの通学路でふと、僕はあの夏の“リバイバル”を今やっているんだと思うことがある。もしもあのとき、あのジーンズを本気で売っていたら、僕たちの人生は変わっていたのかもしれないのだ。今や巨大な「ジーンズ汚し工場」を世界中にいくつも持ち、無数の「汚し工」を育て、捨てられる世界中のジーンズを救う、エコな企業として称賛を浴びていたかもしれない。「Stay hungry, Stay foolish」の、後者のみを地でいった若者として、フォーブス誌の表紙を飾っていたかもしれないのだ。


37歳でロンドンで学生をやるという、もはやまったく現実的ではない状況で僕にできることは、ただこの今を、あのボロジーンズの上のペンキのように踊り続けることでしかない。今度こそ本気で泣いて笑って。現実はもう僕を止めようがないのだから。具体的に言えば、僕のような37歳を雇おうとする会社などもうどこにもないのだ。「踊り続けるんだ」と、とある小説で、僕と歳の近い同業の主人公が自分を鼓舞するためにそう言い聞かせるシーンがある。その意味はあまりよく分からなかったけれど、今はどこかその響きが好きで自分に言い聞かせている。


そして僕は、ロンドンのガトウィック空港からコペンハーゲンへ移動する飛行機の中でこの連載を書いている。18日間のヨーロッパ周遊の旅が今、始まったのだ。この旅でも、僕は「踊り続けるんだ」。



 * * *


森旭彦(もりあきひこ)

ライター。サイエンス、テクノロジー、アートに関する記事をWIRED日本版、MIT Technology Reviewなどに寄稿。2019年9月よりロンドン芸術大学大学院修士課程に留学。専攻は「メディア、コミュニケーションおよび批判的実践(MA Media, Communications and Critical Practice)」。

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