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  • 執筆者の写真岩波新書編集部

『統合失調症』の執筆に際し考えたこと(新書余滴)

村井俊哉

サルペトリエール病院の患者を鎖から解放するピネル(トニ・ロベール=フルーリー画.1795年)

「テレビで私たちを呼んでくれるのはEテレの『バリバラ』まで。その先には大きな壁があるのですよ。たまにお声がかかったとしても、自分の病気が『統合失調症』である、ということは伏せて放送されるのです」。自らが統合失調症を持つことをオープンにして啓発活動を続けているある著名人から伺った言葉である。がん、神経難病などの闘病体験記はバラエティ番組などでも取り上げられることが多い。しかし、統合失調症については、まだ大きな壁がある。


新書『統合失調症』で強調したように、この病気は100人に1人近くの人が患う「普通の病気」である。家族や友人がこの病気を患う可能性も考えると、誰にとっても他人事ではないはずである。ところが、メディアは(ということは、一般市民は)「統合失調症」という病気に何となく蓋をして、こういう病気を持つ人が私たちの周りにはいないかのごとく生活しているのである。


このような無関心の一方で、「こんな危険な人たちは病院に隔離しておくべきだ」という極論も繰り返し浮上する。さらには、「狂気」へのロマン主義的憧れからか、統合失調症という病気は昔から好奇心の的にされてきた。狂気と天才の関係といった話である。現実には、この病気を持つ人の中には、芸術の才能に恵まれた人もいれば、そうでない人もいる。統合失調症を患っていない人の中に天才芸術家もいれば、そうでもない人もいるのと同じことである。この病気がインスピレーションを与えたことによって才能が花開いた少数の芸術家がいる一方で、この病気によって職業としての芸術家への道を断念せざるをえなくなった多くの無名の人たちがいたはずである。


統合失調症を患う人、その家族、さらにはこの病気の医療や福祉にかかわる専門家のほとんどは、このような世間の無関心、根拠のない恐怖心と敵意、さらにはお門違いの好奇の目、を憂いている。そして、この状況を何とかしたいと思っているが、あまりにこうした事態が長く続くことによって、もう自分たちには「事態を変えることができないのではないか」というあきらめの空気を感じることもある。


「新書」というメディアは独特の立ち位置にあると思う。スポンサーを含めた各方面への過剰な配慮が必要なテレビとは違って、「統合失調症」というフレーズが遠ざけられることもない。一方で価格設定の手軽さから、多くの人に手にとってもらうことができる。今回、この出版の依頼をいただいたとき、この貴重な機会を生かし、変わらない事態を変える一石を投じたい、という夢を抱くようになった。


執筆の際には、誰に対してこのメッセージを届けるのかをまず考えた。専門家向けの学術書はすでに十分ある。病気を持つ患者さんやご家族向けの出版も、すでにかなり多く出版されている。一方で情報源が不十分なのは、普段この病気について切実に考えたことはないが、社会や世界のことについて幅広く学びたいと考えている人たち、つまり、岩波新書の読者層のような一般の人たちであった。


こうした読者層を想定し、次に、どのように書くかを考えた。統合失調症に関する学術論文、学説は厖大である。これらから情報を取捨選択していくことになる。その際に、筆者がその判断に最も力を注いだのは、どの情報を載せるかという判断よりも、どの情報を載せないかということの判断であった。例えば、この病気の薬物療法の詳細(具体的な医薬品の名称など)は一切省略した。個別の木を詳細に描き過ぎると、森全体が見えなくなる。「木を見て森を見ず」にならないように、できる限り配慮した。


記載するかどうか迷ったのは、この病気についてのネガティブな情報である。急性期には保護室隔離などの辛い治療を行うこともあること、一定程度の遺伝の影響があること、平均寿命の短縮、大幅ではないが一般人口よりは高い暴力傾向、などである。こうしたことを一般向けの書籍として記載するかしないかは、私と同業の専門家の中でも意見が分かれるところであろう。しかし、今や情報はどこからでも手に入る時代である。ネガティブな側面を記載しないことは、むしろ本全体の信頼性を下げると考えた。


一方で、ネガティブな情報も、その詳細を理解すれば、決して絶望的なことではないということを述べた。ワンフレーズをセンセーショナルに取り上げるマスメディアであれば、こうした回りくどいメッセージを伝えることができないが、200ページ近いボリュームで見識ある岩波新書の読者層にお伝えすれば、きっとご理解いただけると考えた。つまり、「木を見て森を見ず」にならないように最大限配慮したが、「森の風景の中のある一角だけ黒塗りにする」ということはしないようにした。


当初は予備知識のない一般読者を対象に執筆を開始したものの、このような執筆方針を採用することで、結果としてできあがったものは、この分野の専門家にとっても、この病気を持つ人やそのご家族にとっても、それなりに活用いただけるものになったのではと自負している。


そもそも、読者層に応じて書き方を大きく変えないといけないとしたら、それこそが、病気に対する偏見が大きいことを意味しているようにも思う。もちろん、専門用語にどの程度解説を加えるかなどの配慮は、読書層に応じて行う必要がある。しかし、特定の読者層に対しては「森の風景の中のある一角だけ黒塗りにする」といった配慮を行わねばならないとしたら、それはおかしなことである。統合失調症と比べると偏見の少ない様々な病気について、そんなことが行われているとは思えない。たとえばインフルエンザについての医学的・科学的情報を一般読者向けにお伝えする際に、意外にも高い死亡率などインフルエンザのダークサイドを伏せるなどということはしないだろう。そういう意味で、森の全体を描くという今回の執筆方針は、筆者にとっては挑戦でもあったが、どうしても譲歩できないことでもあった。


この病気に対する大幅な無関心とさまざまな誤解という「事態を変えることができないのではないか」というあきらめに対して、私はそんなことはない、変えていくことはできる、と楽観的に考えている。この病気を持つ人たちやその家族あるいは様々な支援者は、統合失調症という言葉が、恐怖の対象や好奇の目といった文脈でなく「普通の病気」としてマスメディアに登場しないことを憂いている。


しかし、新書であれば、この事態を打破できる可能性がある。大きめの書店であれば、それなりに長期間書棚に置かれることになり、全国各地の書店で、「統合失調症」というタイトルの書物が、現代社会の諸問題を論じた様々なタイトルの新書と肩を並べて、多くの人の目にとまることになる。これまで統合失調症に特段の関心を持っていたわけではなく、たまたま書店に立ち寄った人たちが、偶然この新書に目を留めるという状況が全国各地で生じるのである。一般の人たちが「普通の病気」としての統合失調症に普通に関心を向けるというこうした状況を、この病気を持つ人やご家族が喜んでいただけるのであれば、この出版は、私にとって成功ということになる。



むらいとしや 1966年大阪府生まれ。京都大学大学院医学研究科教授。専門は精神医学。著書に『精神医学の実在と虚構』『精神医学を視る「方法」』ともに日本評論社、『精神医学の概念デバイス』創元社などがある。


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村井俊哉『統合失調症』岩波新書

定価(本体760円+税)、200ページ


幻覚や妄想が生じるが、病識の欠如のため本人はそれを認めない。青年期を中心に100人に1人近くが患うこの病気は、社会生活への影響が生涯にわたるのにあまり知られていない。経験ある精神科医が症状、経過、他の精神科の病気との違い、リスク因子、治療、歴史と社会制度などをわかりやすく解説する。


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