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執筆者の写真岩波新書編集部

先行公開:中西嘉宏『ミャンマー現代史』

8月19日発売の中西嘉宏『ミャンマー現代史』の「はじめに」を、発売に先がけて公開いたします。


 * * *


2021年2月1日、東南アジアの西に位置するミャンマーで、この国の事実上の最高指導者であるアウンサンスーチーが軍の部隊に拘束された。首謀者は、ミャンマー軍最高司令官のミンアウンフライン上級大将である。一発の銃弾も放つことなく、軍は政府中枢の掌握に成功する。


軍事クーデター。しかも、拘束された指導者のひとりがノーベル平和賞受賞者のスーチーとなれば、世界的な関心を集めても不思議ではない。事件直後から、政変のニュースが世界中を駆けめぐった。ただ、ニュースを聞いても、いったい何が起きているのかわからないひとも多かったに違いない。


スーチーが率いる国民民主連盟(NLD)が総選挙での大勝を経て政権を樹立したのは、2016年3月30日のことである。1988年から28年間続いた民主化勢力の闘いが実を結んだ瞬間だった。民主的政権の発足は世界から歓迎されて、この国の未来は明るくみえた。日本では、「アジア最後のフロンティア」として、その経済的な潜在力にとりわけ注目が集まる。記憶している読者も多いだろう。


だが、民主的な政権交代のあと、この国の動向に注意を払っていたひとは少ない。極端に良いニュースと、極端に悪いニュース以外は、なかなか注目を集めないものである。日本と縁が深い国とはいえ、5000キロ近く離れた外国のことなのだから、ますますそうなる。


クーデターからさかのぼること約3カ月前の2020年11月8日、ミャンマーで連邦議会(日本の国会)と地方議会の議員を選ぶ選挙があった。この選挙でNLDは大勝していた。NLDの大勝は2015年の前回選挙に続いて2度目のことだが、注目度には雲泥の差があった。2015年総選挙は、56年ぶりに民主的な政権が生まれる契機となる歴史的なもので、それに比べると、2020年総選挙でのNLDの勝利は、事前に予想できる、驚きのないものだった。しかも、タイミングも悪く、当時の世界の目は直前にあった米国大統領選挙(ドナルド・トランプとジョー・バイデンとの争い)にばかり向けられていた。


まもなくして舞い込んだスーチー拘束の一報。軍が主張した政権掌握の理由は、前年の総選挙でのNLDによる不正である。注目度の低かった選挙がこんな政変につながるとは、誰も考えていなかった。ただ、もしクーデターだけだったなら、外国でときどき起きる事件といった扱いで、さして話題にならなかったかもしれない。ミャンマーの政変が特異だったのは、クーデター後に市民の抵抗運動が全国に広がり、しかも、抵抗する市民に軍が容赦なく実弾を発砲したことである。平和的なデモに行使することが許される強制力の範囲を明らかに超えていた。


むろん、国際社会も黙ってはいない。各国政府や国際機関が民間人に対する暴力の停止を繰り返し要請したが、そうした声が軍を動かすことはなかった。弾圧は日に日にエスカレートしていく。この、国際社会の声を意に介さない軍の姿勢もまた、世界を驚かせた。


クーデターに反対する市民の姿を目の当たりにして、大義は民主化勢力にあると多くのひとは感じただろう。クーデターは失敗したと思ったひともいるはずだ。ところが事態は、期待した成り行きとは乖離したまま、現在にいたる。


市民に暴力を振るってまで、軍はミャンマーの何をどうしたいのか。スーチーはなぜクーデターを防げなかったのか。民主化勢力に勝機はあるのか。国際社会は事態をなぜ収束させられないのか。これからこの国はいったいどこに向かうのか。


こうした疑問が浮かんでも、答えがなかなか見つからない。そんな困惑する事態が、もう一年半以上続いているのである。本書はこれらの疑問に答えたい。


そのために本書では、2021年の政変をひとつの政治経済変容の終着点とみなして、1988年からはじまる約35年間のミャンマー現代史を描く。23年間続いた軍事政権のあと、2011年から進んだ民主化、自由化、市場経済化、グローバル化の試みがクーデターによって頓挫した、というのが基本となるストーリーラインである。


断言してもよい。この国がクーデター前の状況に戻ることはない。混迷含みの新たな時代に突入する。だが、その新たな時代がどういったものになるのかは、いまだに像を結ばない。そこで、たとえ朧ろげではあっても、この国の行方を見通すこともまた、本書の課題としよう。


2021年のクーデター以来、私たちを困惑させ続けてきた数々の出来事が、本書で示す鳥瞰図の上で線としてつながって、なるほどそうなっていたのかと読者の腑に落ちれば、とりあえずの目標は達成されたことになるだろう。欲をいえば、ミャンマーのいまを通じて、世界秩序の危うさを再認識し、価値観を異にする他者や容認し難い不正義とどうかかわるべきなのかを考えるきっかけになれば、筆者にとって望外の喜びである。


最後に、各章の概要を記しておく。


序章では、ミャンマーという国をどうみるのかについて、筆者の基本的な視座を提示したい。また、本書が主に対象とする時代よりも前の時代についても、大きな流れをまとめておこう。


第1章は、民主化運動について考える。1988年、ミャンマーで大規模な反政府運動が発生した。学生主体の反政府運動は、アウンサンスーチーを政治指導者とすることで、民主化を求める大衆運動へと変容し、軍と民主化勢力という基本的な対立構図が生まれる。両者の対立の過程を考察しよう。


第2章は、1988年から2011年まで続いた軍事政権についてである。ミャンマーの軍事政権は、国民から反発を受け、欧米の制裁で国際的に孤立し、経済も停滞したが、それでもなお、23年間続いた。どうしてこんなことが可能だったのか、その理由を探る。


第3章は、長い軍事政権からの転換に焦点を当てる。2011年3月の民政移管と、そこから5年間続いたテインセイン政権下の政治と経済が考察対象である。長く停滞してきたミャンマーがなぜ急速に変わったのかを検討しよう。


第4章で論じたいのは、アウンサンスーチー政権の実態である。民主化の大きな進展といってよい2016年のスーチー政権成立は同時に、長年の政敵が共存する不安定な政権のはじまりともいえた。スーチーの夢はどの程度実現して、何に失敗したのかを掘り下げたい。


第5章では、2021年2月1日に起きたクーデターとその後の余波を検討する。クーデターは市民の抵抗を呼び、それを軍が力で抑え込もうとしたことで急進化してしまう。だましだまし維持されていた民主主義はなぜ崩壊したのか。軍はなぜ自国民に銃を向け、何を実現しようとしているのか考えたい。


第6章では国際社会の動向に目を向けよう。ミャンマーの民主化や経済開発を支援した国際社会は、どうしてクーデターを未然に防ぐことができず、また、クーデター後の混乱に手をこまねくしかないのか。国際政治の複雑な力学を読み解く作業をしたい。


終章では、本書の内容をまとめたうえでミャンマーの今後を考える。シナリオとして描くことができるのは、決して明るい未来ではない。軍の統治は難航しそうだが、抵抗勢力による革命も実現しそうにない。困難な現実を直視したうえで、日本にできることはあるのか、あるとすればそれは何なのかを考える。


【目 次】

はじめに

序 章 ミャンマーをどう考えるか

 1 クーデターの衝撃2

 2 歴史的背景

第1章 民主化運動の挑戦(一九八八 - 二〇一一)

 1 一九八八年

 2 クーデターから選挙へ

 3 弾圧のなかの抵抗

第2章 軍事政権の強権と停滞(一九八八 - 二〇一一)

 1 軍の支配原理

 2 軍事政権の展開

 3 軍事政権下の経済

第3章 独裁の終わり、予期せぬ改革(二〇一一 - 一六)

 1 軍が変えた政治

 2 制度が変わり、行動も変わる

 3 自由化と政治和解

 4 紛争への新しいアプローチ

 5 経済開発

第4章 だましだましの民主主義(二〇一六 - 二一)

 1 政権交代の現実

 2 ボスとカリスマの攻防

 3 困難になる共存

第5章 クーデターから混迷へ(二〇二一 -)

 1 クーデター勃発

 2 政争から危機へ

 3 ポスト・スーチー時代の到来

第6章 ミャンマー危機の国際政治(一九八八 - 二〇二一)

 1 ミャンマー軍と外交

 2 民政移管後の外交﹁正常化」

 3 手をこまねく国際社会

 4 日本とミャンマー

終 章 忘れられた紛争国になるのか

 1 この国の行方

 2 この国の困難

 3 日本はどうすべきか

あとがき

主要参考文献

ミャンマー現代史関連略年表


【著 者】

中西嘉宏(なかにし・よしひろ)

1977年生まれ。東北大学法学部卒業。京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科にて博士(地域研究)取得。日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員、京都大学東南アジア研究所准教授などを経て、

現在―京都大学東南アジア地域研究研究所准教授

専攻―ミャンマー政治、東南アジア地域研究、比較政治学

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